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東京タワー

「東京タワーに行こうよ」

土曜夜の六本木、真っ直ぐのびた道路の延長線上の東京タワーを見て彼女は言った。夕方くらいから飲み始め、二軒目を出た矢先のことだ。20時と早い時間ではあったが、前日の夜から彼女と時間を共にし、何となく帰宅する空気感になっていた。そんな中、遠くに東京タワーが見えた。

暖かな光を湛えてそびえ立つかつて日本一の高さを誇ったその鉄塔は、今や自分より高く林立するビル群に囲まれながら、なおも圧倒的な存在感と魅力を纏っている。

10分ほど歩き、東京タワーの下に着く。遠くで見るのとは打って変わって、今度は泰然とした佇まいに心を打たれる。思えば、東京タワーの周辺で飲む度に東京タワーに足を向けている気がする。何故こんなにも惹かれてしまうのだろうかと考えてみると、アニミズム的な世界の見方をしている自分に気づく。気づけば、東京タワーに人格を見出していたのだ。

ランドマークとしての唯一無二性の中にある孤独を、東京タワーに感じる。見せている顔の下に潜む陰影には引力がある。

同じような感覚はスカイツリーを見たときにも感じるが、やはり東京タワーとは違う気がする。スカイツリーには強さを感じるが、東京タワーにはそれがない。どちらかというと優しさというか、見るもの全てを抱擁するおおらかさを見出す。

東京タワーには歴史がある。戦後の発展を見守ってきた50年の歴史がある。その文脈に、否が応でも敬意を感じてしまうのだ。

何も語らないが多くの語りを感じ取らせるただ一つの建造物。自分が世に送り出した作品が、50年後の誰かの心の琴線の端っこにでも引っかかってくれたらなと思う。

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