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【雑記】お焚き上げ

もう何度も書いていることだけど、一緒に暮らしている子犬が愛おしすぎる。歯が抜けても可愛い。オナラも口も臭くて可愛い。顔をベロベロ舐められても可愛い。トイレシートからはみ出したおしっこさえも愛してる。親バカなのかもしれないけど、この子を愛してると思える自分をとても誇らしく思う。

生まれてから何度も、住む家や家族構成が変わった。特に父親は何度も変わった。酒を飲んで暴力をふるったり、とにかくお金がなかったり、大事な時に意思疎通が取れないような男ばかりだった。だけど男よりもっと大きな山が母親だった。母のルールで言動が制限される。言葉は正しく使う。本のタイトルでさえも間違えない。機嫌を取れば取ろうとするほど悪い方へ転がる。洗濯物を取り込み忘れると嘘つきと罵られる。畳み方を間違えると「あんたは家族の一員になるつもりがないんだな?」と責められる。脱いだ服は鼻をつまんで持たれる。仕事が楽しかったのに家に帰ってあんたがいると気分が悪くなると溜息をつかれ、あんたが死んでも私の人生は続くから、と言う。なにかあるたび、家から出ていけと胸ぐらをつかまれる。足を引っかけ転ばされ、玄関まで引きずられる。外に放り出されて鍵をかけられる。インターフォンも切られる。こちらを殴りながら母は言う。「私はお父さんから木刀で殴られてた、道具で殴るのはずるい。殴る側は痛くないから。だから私はあんたを手で殴る。殴った私も痛いから」じゃあ殴らんといてくれ、とは思わなかった。手で殴ってくれてありがたいと思っていた。家で大人数で飲み会をしている時が一番最悪だった。あんたの話は聞きたくない、あんたはつまらないとよく言われた。仕方がないので大人に混ざってお酒を飲んだ。美味しくもないのにビールを何本も飲むと、母も周りの大人たちも面白そうにした。酔った大人たちから酷い言葉をたくさん言われた。大人たちはどうにでもしていいものを見る目で愉快そうにしていた。母は笑っていた。自分がバラバラになる感覚。もうどうでもいいやと思った。今でも母は「こいつが便器抱えてげぇげぇ吐きながらもう酒やめたって言ったのは小3の時だった」と自慢げに言う。自分が傷つかないためには、面白がってもらうしかなかった。誕生日は母が優しかった。美味しいご飯やケーキ、プレゼントをくれた。だけどそれは一時的なもので、明日になればまた怒られるんだと思うと怖かった。自分が悪い子だから仕方ない。約束も守れない嘘つきの自分を、「悪い子の行く家」へ連れていかずにこうして家で育ててくれていることを申し訳ないと思っていた。

母とほどよい距離感を掴みつつある最近でも何かの拍子に昔のことを、まるで昨日のことのように思い出す。例え思い出の自分が楽しそうにしていたとしても、大人の自分にはそれが歪だと分かる。呪いが独り歩きしている。自分は無能だという呪い。何も望んではいけないし羨んでもいけない。地中に埋まっている存在。土の中でどんどん腐っていくから周りの土を悪くする。あんたのせいでみんな嫌な気分になる。そういう存在。外に出られない、働けない期間も長かった。頑張れば頑張るほど自分の無能さがよく分かる。人間関係はうまくいかない。バイトは3か月も続かない。相手の求めているものが良く分からない。なんで世間話が必要なの?その雑談ってどういう意味?ある日布団から起き上がれなくなる。好きな音楽を爆音でかけてリストカットする。母の言うとおり自分はどうしようもない奴だ。だけど次第に、自分をなだめる方法が分かってくる。精神科に通い、とはいえ普段思ってるようなことの一割ほども話すことはできず、処方された薬で気を紛らわせながら労働する。

三十歳近くなって、母が何度目かの離婚をした時にやっと気づいた。これって誰の人生なんだろう。母の暮らしを手伝って生きていくつもりだったけど、その間に母や結婚や離婚をして、家を建てたり壊したりして、でもそれって私の経験ではなくて、母の目を通して人生を生きているようで、母が死んだら自分も終わるんじゃないか、と思った。同じ時期、妹は大学へ行った。彼女には彼女の辛さがあり、努力があり、大学まで行けたことは素晴らしいことだと思う反面、落ち着いて勉強できる環境や、親からの金銭的な補助がもらえる妹を恨めしく思った。運転免許取得や新車購入にかかる費用を母が出していると聞いた時に心が壊れた。母は「あんたは私とずっと一緒におったらええやん」と言った。それを聞いてスッと目が覚めた。まるで無駄死にやんけ、と腹が立ってきた。それでえいやと実家を出て、一人暮らしをはじめた。

小さなアパートでも、これが自分の居場所なんだ、と思うと涙が出てきた。「あんたに生活能力なんてないでしょ」と言われていたから、自分には到底無理だと思っていた。光熱費を払う事、火災保険に入ること、確定申告、医療費控除、全部自分にはできないことだと思ってた。できることを積み上げていったら、想像していたよりも遠くまで行けた。将来は動物たちと暮らすのが夢だった。犬や猫、大きな鳥。中古で良いから小さくて丈夫な家を買って、野菜を育てたりしたかった。それ全部無理だったとしても、少しぐらいなら達成したいじゃんと思えた。実際、達成してきたじゃん。

それで去年の夏に子犬を迎えた。とにかく高い買い物だった。暮らしのほぼ全てが犬仕様になった。だけどとても愛らしい。自分が大事にするものを、取り上げられる妄想ばかりして生きていた。自分を好いてほしいなんて思ってはいけないと思っていた。だから今でも少し、子犬に対して後ろめたさがある。自分のような人間が飼い主でごめんと思う時もある。だけどこの部屋を見渡すと、本棚もパソコンも電子レンジも、この部屋にあるものすべて、自分が、自分のために手に入れたものだ。誰にも取り上げられてないもの。そのことがとても嬉しい。部屋を見渡すだけで、これまで頑張って生きてきたことが手にとるように分かるから、これからも生きていける。子犬が大きい寝息を立てている。白いお腹が丸見えで、安心しきった顔をしてくれている。その顔を見ながら自然とほほ笑んでしまっている自分に気づいた時、
あぁこれは幸せだな、こんな幸せなら手放したくなくなっちゃうなと思う。
そんなことを思う時、少し切なくなるし、人並みなこと思っちゃってるなぁと申し訳ないようなくすぐったいような気持ちになる。子犬を叱る時、胸ぐらを掴んだ母の顔を思い出す。自分もそんな顔してるんじゃないかと怖くなる。母もこんな気持ちだったのかなとも想像する。母は母なりに愛してくれてたんだろうということは分かってるけど、相手に届かないなら存在しないのと同じだとも思う。子犬の寝息がそんな陰りをまるごと包み込んでくれるから、自分のことを大事にできる。できるだけ長く生きたいと思う。できれば庭つきの家を手に入れて、この子と一緒に遊んで暮らしたい。それもいつかは実現できそうな気さえしてくる。



将来の自分がうっかり死にたくなっちゃった時に読み返してくれると嬉しいな、と思って書きました。

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