誰の中にもある創造性。

今更だけど、北野唯我さんのスーパーコラム「凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?」を読んだ。
http://yuiga-k.hatenablog.com/entry/2018/02/23/113000
北野さんの思い「人の可能性を阻害するものに怒りを感じる」「今挑戦しようとしている人に捧げる本」(「天才を殺す凡人」)には強い共感を覚えた。
同時に一番胸に残ったのは、誰にでも創造性(天才さ)はあって、育つ中で学習し論理や共感で生きるようになってしまう、という箇所。自分は共感が弱いし、かっこを付けているのではなく、ストレスフルでとても辛いことだ。他者がどう感じるか、ということが良く分からないことが多く、本当に苦手だ。そして他人がどう感じているかという、自分にとっては予測がほぼ不可能な訳のわからないことに対する、言ってしまうと恐怖心がある。
反面、新しいことを夢想したり思い浮かべたりするのは昔から大好きだった。白いカンバスに書くことが好きだった。今でも「新しいこと」「オリジナリティ」は自分の中でプライオリティが高いと思う。
だからといって、自分が天才だとは言うつもりもないし思ってもいない。ただ創造性という言葉は好きだし、多くの人が大きくても小さくても創造性を大事にして生きることができれば、より豊かな社会や人生になるのではないかな、と信じてる。できれば、この本を多くの人が読んで、日本人全員が勘違いでも良いから「自分は天才だ」と自己規定してしまって、創造性を尊重する社会になったら良いなと思うくらいだ。
組織論、組織の成長段階として、官僚化が進む、すなわち秀才に任せる時代になる、そのときに「できるだけ創造性で勝負したいと思っている人=天才」を上手く泳がせることができれば、それは組織としての無形のケイパビリティだと思う。
そう考えると、やっぱり組織において、最下位層にいるかもしれない天才の創造性を活用するために、プロジェクト・ワークの活用や運用能力は、かなり大事なこと、成長戦略のための基本ツールのように感じてきた。

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