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寺山修司論『液体と規則性』

『6 帽子、忘我、液体』

    *

<歌詞>においてあれほどの制御と発熱を可能にしてきた
寺山修司は、では果たして何者なのだろうか。
このように考えてみるとき、わたしたちは
再び冒頭に立ち戻っているのだ。



この追跡はこのように書き始められてはいなかっただろうか、
「わたしたちは寺山修司を迷宮の使者、虚構の錬金術師、
前衛の覇者として信奉し、ジャンルを越境するに勢いあまって、
五十歳を待たずして彼岸へと跳ねていった

疾風怒濤の人と理解しながら、しかし彼の思惑通りに
置き去りにされている。それも無理はない。
俳句・短歌といった定型詩から、

メルヘンや歌詞、
フィルムに直接彩色する技法で製作された実験映画、
恐山を徘徊する白塗りの登場人物たちの長編映画、

    *

はては暗闇のなかで観客を触りにくる演劇までと、
寺山が繰り出す作品は多岐にわたり、
わたしたちはどれが本当の彼なのか、
どこまでが本当の彼なのか、それとも、

すべてが彼であるとするならば、
どのように理解すればいいのかも分からないまま
疑心暗鬼となり、
ただ前衛の廃王の前で途方に暮れている。

彼は、寺山修司という名前は固有名詞なのか。
いや、果たして彼は人物なのか」と。
寺山は人物だっただろうか。

Shujiという音を持ち修司と記すよりはむしろ
<修辞>という語の方が名前としてふさわしいと思える
寺山修司とは人物に与えられた固有名詞なのだろうか。

    *

もし、実際に固有名詞であるならば、
固定しているがゆえに不動であり、
唯一であるがゆえに代替可能がなく、
作品の中で<私とは誰か>を問う必要はない。

<私とは誰か>を常に問い続ける必要があるのは、
直立できぬもの、ただ引力のままに這っていくもの、
身体ではなくむしろその中を流れる血液であり、
「立ったまま眠っている」ことができると

自分にできないことをできると
主張してやまない血であり、
つねに受け止める容器を必要とする液体である。

三十一音の定型が呼んだときにだけ、
潜んでいた大地から滲み通り地表に出て
滲みから流れへと勢いを増し、

    *

やがて落差を滑り落ちながらついには
方々に飛散する飛沫となることができる
そのたびごとの滝、
そしてまた飛び散った地点から再び這い進み、

またそのたびごとの容器の呼び声に応じて
自らを作り為した姿形を構築して
移動していくのが寺山修司である。
それは劇場という場所にも、

舞台装置を作り上げていく
劇団という存在にもよく似ている。
寺山修司とは、

そのままのあり方ですでに巡業先を探す劇団であり、
這い回る液体である。
常に自らを象る容器を求めて漂流しながら、

    *

ときにはそのあまりの手応えのなさゆえに
<私とは誰か>の問いを包囲網を作る杭のように
範囲を区切って自らを戒め、押し留めようとする液体。
わたしたちはこのものを、

<私とは誰か>の問いに返答を明示することによって
この絶え間のない流出への衝動を
鎮めてあげるべきではないだろうか。
寺山修司よ、

君が父親になる日がやってこなかったように、
君が<私>になる日もやってくることはない。
君は固有名詞ではなく、もちろん人間でもなく、

不定形の物質名詞なのだ、寺山修司。
身につけた容器の形にそのたびごとに盈ちるもの、
液体にして、液状の修辞を行う者、

    *

それが君なのだ、寺山修司。
だが、
作品を作る上で人である必要はないではないか。
ブランショもこう語っている。

「溢れること」こそ、液体の秘やかな情熱なのだ。
限度を知らぬ情熱なのだ。そして、溢れることは、
豊かさを意味するのではなく、空虚を意味する。
それにくらべれば、豊かさもなお欠如状態であるような過剰を意味する。

そうだ、だからもう君は、
<私とは誰か>を問う必要はない、
もし問いたければ

わたしとはどのような物質かと問うのがいいだろう、
そうすればわたしたちはこう答える、
君は途方もない情熱の液体だ、と。

    *

しかし、短歌を引用するときには、
その文字を書き付けた場所がとたんに
異様な磁力を帯びて
時空を変容させ始めるのとは裏腹に、

彼の詩を引用しようとして
移植のガーデンスコップを持ち
詩集のページから剥がそうとすると
詩行は途端に脆弱さゆえに

過剰が欠如する空虚がそこここに空隙を生じさせ
ぽろぽろとほぐれて崩れ落ち始めてしまう。
そのほつれの原因は、あるいは空虚ではないかもしれない。

そのあまりの稀薄さゆえに消えてしまいたいと願う
羞恥心かもしれない。
いや、そもそも移植に失敗したのは彼の方かもしれない。

    *

残骸の島嶼を残すのみとなった
ぎこちない廃墟、
『五月の詩・序詞』の引用を
扉の物陰から覗いてみるとしよう。

    *

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

(中略)

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる

二十才 僕は五月に誕生した

    *

おお、なんという無残な残骸なのだろうか。

彼ともあろうものが、なぜ
このような惨状のインスタレーションを
放置したままにしたのか。



原因は語彙にある。

「季節、帆、二十才、五月、樹木、はにかみ、鳥」
燦々とした溌剌と羞恥と
未来への無垢の希望とその感染としての鳥。

これは寺山修司の語彙だろうか。
むしろこれは、谷川俊太郎の語彙ではないだろうか。

なぜ、寺山は谷川俊太郎の語彙で詩を書こうとしたのか。


こう考えることもできるのではないだろうか。

俳句において<初代・寺山修司>を無事乗っ取ることのできた犯人が
その成功の味を再び賞玩するために

    *

もう一度、今度はジャンルを越境して詩へと浸潤して
青春の覇王たらんとしたのではないか、と。
「二十才 僕は五月に誕生した」というリフレインの
虚空での残響、空洞のリバーブ。

試みは失敗した。
<二代目・寺山修司>は
<二代目・谷川俊太郎>を襲名しようとして果たせず
鳥に挨拶するためら挙げた手に白旗を掲げている。


<詩>の原理と生理になじめないまま
寺山はこんなはずではなかった、と
試作を続けるかもしれない。

<歌詞>では書けるものがなぜ<詩>では書けないのか。
それは、<歌詞>と<詩>とでは
リフレインの存在価値が異なっているからだ。

    *

<歌詞>においては、
取捨選択と亡失の激しい耳たちのために
戻るべき浮標として旋律のなかに浮いているものが
リフレインである。

それは、待ち望まれて期待に応えようとつい繰り返される。
しかし、<詩>においては、
もう一度それをなぞって
似たような歌を歌うということができない

繰り返せない詩人たちが、
繰り返したくない詩人たちが
性質も意図も裏切られる形で繰り返してしまうから

許されているのがリフレインである。
詩人とは突き止める者だ、だが彼は拡散する。
詩人とは繰り返せない者だ、だが彼は再生産する。

    *

液体の停止線がつねに明示されている
定型を抜け出してきた寺山修司は、
ここではその線が引かれていないことに当惑して
青春の覇王を断念した白旗を持つ手とは

別のもう片方の手でポケットをさぐり

鳥に餌をやって養育し、
前衛の覇王として猛禽である鷹にすべく
試みようとしている。

だが、
彼の断念はいつか覆される期待とともに生き延び
遺稿とされる

『懐かしのわが家』という詩においても、
彼は一貫して、自ら恃む短歌の技法を用いて
詩の再建に励んでいる。

    *

昭和十年十二月十日に

ぼくは不完全な死体として生まれ

何十年かかって

完全な死体となるのである

そのときが来たら

ぼくは思いあたるだろう

青森県浦町字橋本の

小さな陽のいい家の庭で

外に向かって育ちすぎた桜の木が

内部から成長をはじめるときが来たことを

子供の頃、ぼくは

汽車の口真似が上手かった

ぼくは

世界の涯てが

自分自身の夢のなかにしかないことを

知っていたのだ

    *

彼が達成してきた栄光からみればみすぼらしい最終地点。

彼が書いてきた短歌においては、
彼は名手の掏摸のように
なにひとつ不可能とすることのない

全能の壁の掏摸抜け男であったというのに。
港町で、あるいは甲板で
タバコを吸おうとした者は
「マッチ擦るつかのまの海に霧深し」と

湿気と冷気を嘆いたかと思うと、
たちまちのうちに内省へと掏摸抜けして
「身捨つるほどの祖国はありや」と

戦争の根源を埋葬しようと思い立つ。
同郷の友人との交友のなかで
「ふるさとの訛なくせし友といて」という喫茶店で

    *

「モカ珈琲はかくまでにがし」と再び登場人物は
都会の中での郷愁へと掏摸抜けていく。
ところが遺稿の詩は、
自らを昔日の自宅の庭の伸びすぎた桜として

迎えるべき死という場所から、
回想へと壁抜けしていく際に
一行の空白を必要としている。
短歌であるならば

五・七・五から七・七へと移るときに
いったんそこで息を吸ってしまう
一瞬の隙を衝いて加速される

壁の掏摸抜けの幻惑の瞬間は到来せず、
ここでは、まるで
楽屋を持たない演劇員たちが

    *

近くの草むらで着替えるみたいに
牧歌のような
逍遥としての空白が置かれている。
果たして、

この詩は
このように書かれるべきだったのだろうか。
たとえ、あまりにものどかな歌いっぷりを
横においたとしても

まだ拭えない違和感。
一行の空白はむしろ「完全な死体」の回想のために
捧げられるべきではなかっただろうか。

前後を入れ替えて
このように書かれたらどうなったかを
試してみよう。

    *

子供の頃、
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが

自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていた

昭和十年十二月十日に

不完全な死体として生まれたぼくは

何十年かかって

完全な死体となるのである

そのときが来たら

ぼくは思いあたるだろう

青森県浦町字橋本の

小さな陽のいい家の庭で

外に向かって育ちすぎた桜の木が

内部から成長をはじめるときが来たことを

    *

寺山を詩から隔てているのは、
「不完全な死体」が
「完全な死体」になるのを制御することを通じて
詩を支配しようという欲望なのだろうか。

いや、むしろこう言い直したほうが近いかもしれない。

寺山には、「完全な死体」になることへの
感受性が擦り切れているのではないか、と。

いや、

むしろこう言い直したほうが近いかもしれない。

寺山には、「完全な死体」になることへの
恐怖感が擦り切れているのではないか、と。


死体がそのまま望郷の土地であるかのような
慰安に包まれた約束の土地。

そこに寺山は向かおうとして隠そうとしていない。

    *

詩人は詩においては、
愚かであることを強いられる。
突然の超越的認識に襲われることが
詩人の証明であり、

同時に
制御不能な不具地帯に
取扱説明書も付備されることなく
呆然としたまま

放置される佇立の農具として
機能するのが相応しい
筆記具にすぎないである。

寺山は五・七・五と七・七のリングでは
軽やかに舞い、
観客を軽蔑できる扇動者でありえたが

    *

あまりに賢明であるがために
詩人の資格としての忘我を見失いっているがゆえに
寺山は詩人であるよりはむしろ
より短歌作家であり、

短歌の床下を自在に移動していく
劇団であり、すなわち液体である。
液体にもし死があるならば
それは

完全への成熟であるよりはむしろ、
凝固と揮発であっただろう。
自らには帰郷であることの完全な死体への望郷を

寺山は次のように歌っている。
「ころがりしカンカン帽を追うごとく
 ふるさとの道駈けて帰らん」(修司)

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