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『3 卵、インスタレーション、葡萄』
*
俳句と短歌が
詩と決定的に異なっているのは、
言葉のさらなる圧縮であったり、
季節の変遷への感受性の鋭敏ではない。
日本の短詩型文学は本質的に<卵>である。
一行の文字の連なりへと
有機的な形態を変化させた重心の<卵>である。
掌に載せただけで、
それの重心がどこにあるかが分からないために、
安全を保ったまま持っていようとすると
掌を中心として身体全体が調律をほどこされ、
平衡を保つのに神経の過度な働きを要する<卵>、
それを持ったまま
さらになにかもうひとつの行為を果たそうとすることなど、
*
試みることでさえもが禁忌とされる
生命の営みの息吹を感じさせる<卵>。
思いがけない突風や激しい息で乱されたら
復元するのが難しいような
細かく軽い紙片のような
文字の列で綴られていながら、
その脆弱さが繋がりあったときには、
存在さえもが判然とせず
ただ世界の片隅で暗く点滅していた作品が
一瞬にして眩しい光輝を放ち始める<卵>。
それが俳句の言葉であり、
短歌の言葉である。
にもかかわらず、
寺山はその脆弱さをわずかに繋ぐ
*
生命線である助詞には関心を示さず、
晴れやかな語彙を切り抜いてきて、
それを別の場面に置き換えてみる。
語彙のオブジェを用いたインスタレーション、
これが寺山が高校生のときに考えついた詩法であり、
そしてあろうことか成功を収めてしまったゆえに、
繰り返される技法でもある。
それは、寺山の言葉の工業製品の持つ均質さ、
掌の上にそれを載せたときに
偏りがないがために重みを重みとして感じない軽さ、
俳句に限らず短歌、
詩においてまでも一貫した
寺山修司の言葉の軽さを補うための重層的な塗布剤であった。
誰に詠まれようと、
*
どの時代に詠まれようと、
俳句も短歌もまた組み替えられて
新たな野趣を求める
暫定的に仮縫いされた
意匠であるにすぎないという認識のもとに、
寺山は確信犯的な剽窃、
つまり語彙のインスタレーション技術を駆使して、
際限もなく推敲した江戸の俳諧師さながら、
もはやこれ以上は壊れ得ぬものであり
壊し得ぬものである地点まで
押し上げることができたという
確信の核心を得るまで
限りなく類作の山を重ねながら
推敲していく。
*
『父還せ』という嘆願の化粧を拭い取り、
演劇の野心の幕間を掬い取った
技術の確かさを読み取った選者によって
『チエホフ祭』とリネームされた作品が孕んでいたものは
言葉へと還元された物質はだれにとっても
再利用可能であるという言葉の平面感覚だった。
だが、創始者は常に革新的であり、
それを継ぐ者たちは早すぎる伝統主義者であり
保身主義者である。
若き宗匠、寺山翁は革新的な若手に対して
嫌悪の情を持つはずの先輩諸氏を先回りして
すでにその攻撃と防御の構図をこう歌っている。
「とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ
虐げられし少年の詩を」(寺山修司)
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