寺山修司論『液体と規則性』
『11 葬儀、藻、服喪』
*
死が間近に迫っているというのに
死という主題が寺山に迫ってこないのは、
若年から内臓疾患を有してもはや
早々とその中に深々と浸されているからである。
寺山修司にとって死とは、
われわれが持っているものとは大きく異なっている。
それは不慮の事故として
襲ってくるものでもなく、
直線の彼方に加齢とともに
衰弱して訪れる消失点でもなく、
ただ体力の限り渡り切らなければ
自らが沈み込んでしまう
澱みの沼として
すでに出現しているものである。
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死に抗うとは
足下に絡みつく藻を払い続けることであり、
藻を払おうとして
思わずさらに深く別の脚を踏み込んでしまう泥濘が死である。
であるがゆえに生とは
果てしない悪路の行軍となる。
もしも死が足の届かない深さを持つ幅広い川や
干満を持つ海であるならば、
いったんは身を浮かべて
流れに任せる選択肢もありえるが、
そこは天を仰いで横たわることもできない沼である。
死期も余命も逆算して
課題を清算すべき旅程表ではありえず、
もはや生きることは記録と直結する。
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自分の自由な行く手を阻む唯一の壁、
そこを越えることのできない
肉体化した死である
谷川俊太郎との再会は、
生きるとは
母とともにあることであり、
死ぬとは
谷川俊太郎とともにいることである寺山修司にとって、
避けられない選択だった。
寺山修司の死からさかのぼること
8ヶ月前から始まった
寺山修司と谷川俊太郎の『ビデオ・レター』は、
往復書簡の装いを持ちながら、
谷川俊太郎が送ってくるものは早すぎる弔文である。
*
「君の詩、読んだぜ、よかったぜ」と
原稿用紙に書いた自分の台詞を
棒読みする谷川俊太郎の視界には
すでに寺山修司が
入院患者として死んでいく姿が見えていて、
二人の交際を回顧している。
まだお互いの家を行き来するような屈託ないつきあいをしていた
青年時代のころのわれわれ、
自分の最期を託すことになるが、
そこで誤診して最終的な死因となるべきだった
肝臓を注意しすぎたたために
腹水という自分の最も専門とする治療分野での
突発的な病変で看取ることになる主治医との、
鳥の声で吹き替えられる対話。
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寺山を総括しようとする谷川に対して、
寺山は
いままで見せたことのない部分を見せ始める。
寺山は、
闘病中の吹き出物の多い自分の皮膚を見せる。
寺山は、
慣れた手つきで飲み薬を作り
一日に飲むべき薬の総量を見せる。
寺山は、
親しい劇団員が朝の歯磨きしているのを見せる。
寺山は、
年若い自分の愛人を映す。
寺山は、
今も生きている愛憎の母親を映す。
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寺山は、
言葉には意味があるからいいと言う。
谷川はそれを全部素通りさせて、
みなそれぞれが
自分の抱え込みできない重みを抱えているのだ、
君にはそれが体の不調という
身体的な発露をしているにすぎず、
おのおのの諸問題は
おのおのが解決するしかないのだよと語るかのように、
無関心よりもずっと濃く、
傍観よりはやや濃く、
声を交わすというそのことだけが
液体が混ざらない
容器の縁ぎりぎりであるような位置での交歓をなす。
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音声部分だけでは
谷川は意味に関する問いにだけ答えるように見える。
ところが、映像部分は
谷川による寺山批評である。
二種類の液体がお互いを隔てる膜を作りながら、
なだらかな移動と
押し返しと部分的な統合を行う二通目は、
液体と規則性による
このビデオ・レター交換の名指しそのものである。
三通目には、
書き物をしている男の顔の部分にだけ、
取り替え可能な仮面のように、
食材や玩具など置き換えて、
さまざまな分野に触手を伸ばした寺山を揶揄する。
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寺山が死んでしまったあとの
谷川からのビデオ・レターには、
時折の激しい振れを含みながら
ハイキングコースのような上下の変化が
方眼グラフ上に記されているが、
それは縫い閉じられて
一本の地平線となっていく
心電図であり、
河川敷の土手の
コンクリート棒に貼られているのは、
自らを真似て越せなかった作品、
そこで寺山が踵を返して
詩から去って行った
『五月の詩』が映されている。
*
見つめ続けていられる者、
死に悲劇という題名をつけない者、
規則性による液体の服喪。
いつ返信が途切れて無音になっても、
葬送の静けさに交換可能であるような音楽、
線香で香りを浄めるように
死の静けさを浄める音楽で
いつも始まるこの交歓書簡は
自らにとっての死である
谷川俊太郎によって梱包されて、
その生涯の製作活動を終えることとなる事態を予言して、
寺山は次のように歌っている。
「ほどかれて少女の髪に結ばれし
葬儀の花の花言葉かな」(寺山)
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