詩集『きみは転がりこんできたね、マイボーイ』 4
■見どころ、読みどころ■
自分のできなかったことを息子にやらせるということは父親として邪道を踏むことになるでしょう。いくらお稽古ごとは3歳から始めるとはいえ、ピアノを習わせたり、水泳教室に通わせたり、家では漢字の練習でしごいたりしては息子も気の毒というものです。
だいいち不思議なことに、電車やバスのなかでみかける親子というものは隠しようもなく酷似しているではありませんか。親が長年の詐術の成果でどうやら覆い隠せたと思い込んでいる恥部を子供が横で「これがぼくらの原型です!」とばかりに露呈させているのを見るのは、なんだか痛ましいような気にさえさせられてしまいます。どうしてあんなに似ているのでしょう。
しかし、あれを見ていると、わたしは逆に安心してしまうのです。子供に似ているうちは、おれもまだ安泰と左うちわでいられるのですから、これはこれで立派な親バカを発揮しているといえます。
もっと不思議なことは、もともと他人であったはずの夫婦までもがよく似ているということです。夫婦の共通認識へと向かってお互いが駆け寄ってきた成果でああいうふうになっちゃうんでしょうかねぇ。不気味といえば不気味なことこのうえない仕組みですねえ、でもわたしはそれでも妻に似ているうちはおれも安泰というのですから、これは妻バカとでもいいましょうか。では、どうぞ。
■『秘儀伝授』■
毎日のおつとめごくろうさん
いまやきみはりっぱらぼくらの息子として成長しつつある
生後十一か月の赤ん坊だ
まことに感心なことであると思います
しかし、これからさきどういうことがあるかもしれません
わたしがぱったり逝ってしまうかもしれません
きみがひどく困難な病気になるかもしれません
わたしたちが育ての親でなくなる事態もありえます
四つの水路のどれかをわたしたちは流れていくでしょう
一 わたし死ぬ、きみ生きる
二 わたし生きる、きみ死ぬ
三 わたし生きる、きみ生きる、別居有り
四 わたし生きる、きみ生きる、同居のまま
五 わたしたち死ぬ(論の発展のしようがないので排除)
ですから
いまのうちに
わたしがこれまで学んできたことの伝授をいたします
わたしもこれまでなんとかやってきました
これもまことに感心なことであると思います
しかしあらたまってみると
あまり伝授することがないなあ、がっかりだ
わたしはきみになにか教えてあげたいのだが
教えてあげたいなにかがすぐに浮かばない
ではまたということにしようじゃないか
じつにEZ(もちろんただのイージー)
じつにWHAPPY(わたしたちはハッピーの短縮形)
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