「私という肖像写真」を考える
セルフポートレートというと当たり前だがカメラマン本人の肖像写真の事
私も撮影している
別にナルシズムで撮影している訳でなく、被写体探しが大変だから
セルフポートレートというのは本人が思うより本人が写るというのだろうか
ああ、とうんざりするものである
巷に溢れるアプリで加工された理想の自分を笑えない
顔にコンプレックスがある訳では無いからああ、となるのはそこではない
内面が表面化されているから落ち込む
こればかりは自分にしか分からない
作品として上げるとなるとさらに写真としてのレベルは?と考えてまた深みにハマる
ハマりすぎるとうんざりして、そもそもセルフポートレートは自分自身の写真だけで良いのか?むしろ私自身が邪魔をして本当の肖像写真が伝わらないのでは?とひねくれ始める。
「肖像写真」を疑ってみる。
私という存在はどうやって見せればいい?
私の体温、呼吸
それは体以外の何かに宿る、そう信じたい
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