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ep9 こんぴらさんの夏祭り

ニュータウンからくだって少し北へ。こんびらさんは、古い町を見下ろす山の上にある神社だ。こんぴらさんの夏祭りは、ニュータウンの子どもたちの憧れ。寛容な親であれば、中学生になると子どもたちだけでこんぴらさんの夏祭りに行くのが許可される。

ピンも誘ってみたけれど、来なかった。行きたくないと言っていたけれど、それが本心なのか、親から許しが出ないことを隠すための強がりなのかはわからないけれど、多分前者なんじゃないかなと思う。

ドラッグストアやコンビニがある国道の三叉路を川沿いに右に入る。すぐにまた右に折れると、こんぴらさんへ続く参道だ。普段は何もない道に、この夜だけは二十軒ほど出店が並ぶ。

お面、射的、ヨーヨー釣り、ベビーカステラ。たこ焼きに、梅が枝餅。今夜は涼しくて、かき氷屋は暇そうだ。参道は100mも無いだろうか。その先は長い階段。提灯が暖かい色で小さな祭りを照らしている。

一緒に来た野球部のメンバーの中には、タイラもいる。タイラは中学校でも野球部に入った。僕とピンは帰宅部。野球部にはタイラの他にも2〜3人ニュータウンの友だちがいたけれど、それほど話の合う連中じゃなかったから、僕は野球部のひとかたまりの後ろの方で、ぼんやり屋台を眺めて歩いていた。

川沿いの道から、2組の須藤さんたちがやってくるのが見えた。三人並んで、浴衣を着ている。須藤さんは錦海中の2年生の中でも、特に目立つ。すらっと背が高くて、髪の色がちょっと茶色で。染めてるけど地毛って言い張ってるとか、3年生と付き合ってるとか、タバコ吸ってるとか、そんな噂が聞こえてくる。

錦海中では、古い港町の子どもたちと、ニュータウンの子どもたちが一緒になる。港町の子どもたちは鳴海ニュータウンの子どもたちと比べて奔放で、体がでかくて、やんちゃな奴が多かった。僕とピンは牧歌的だった小学校との違いに戸惑って、なるべく目立たずおとなしく過ごしていた。

野球部に入ったタイラは、少しずつ彼らに感化されていっている。ちょっと寂しいような気もるけれど、たまにバスで一緒になると、その時は昔みたいに話もする。

須藤さんもこちらに気づいた様子で、何かこそこそ話をしているようだ。紺地の浴衣が大人っぽい。須藤さんもまた古い港町の女の子で、ニュータウンの子たちには無い、大人びた色っぽさがある。

ドラッグストアの駐車場の方から、爆竹の音が聞こえた。お囃子が鳴って、参道に神輿が入ってくる。神輿を担げるのは、高校生からと決まっている。一升瓶を片手に威勢よく声を張る金髪の男たちは、普段道で会ったら怖いけど、今夜はちょっとだけかっこいい。

「おい、あれ、前田じゃない?」
「あ、ほんとだ。」

お囃子の中に、3組の前田くんがいた。はちまきを巻いて、白い羽織を着て、小さな笛を鳴らしている。前田くんは港町の子どもたちの中では比較的おとなしくて目立たない子だ。色白で、切れ長の目で、ちょっと不思議な雰囲気があるから、学校で前田くんを見かけると、つい目を奪われてしまう。

神輿がたこ焼き屋のそばを通りがかったところで、前田くんが右手を離して手を振った。その先にいたのは、須藤さんだ。

須藤さんがニコッと笑った。普段はいつも冷たい目をしている須藤さんが、小さな女の子みたいに恥ずかしそうに。それから前田くんはすぐに視線を前に戻し、威勢のいいお神輿と一緒に、こんぴらさんへの階段を駆け上がっていった。

振り返ると、須藤さんはまだ笑顔で、友だちと何かを話している。嬉しそうな須藤さんをしばらく見ていると、後ろから声がかかった。

「なにお前、須藤さん好きなの?」

声をかけてきたのはタイラだ。

「いやいや、まさか。」

本心だったとは思うけど、顔がポッと熱くなった。

「赤くなっとるやん。」

からかってくるタイラが面倒だ。

「前田、笛なんか吹いてうけるな。」
「バカお前、あいつの兄ちゃんめっちゃ怖いけんな。やられるぞ。」

スグルが、茶化すようなタイラの言葉をたしなめた。スグルは優しい。2年生だけど、野球部ではもうレギュラーだ。勢いを削がれたタイラはプイとそっぽを向いて、別の連中の方へ歩いていった。

「須藤さん、前田のこと昔から好きやもんな。」
「あ、そうなん?」

須藤さんたちは、りんご飴の屋台に並んだみたいだ。横顔が赤く染まっているように見える。

須藤さんの首筋と、鼻筋の通ったきれいな横顔。前田くんの細い指と、階段を上がる白い足袋。

大事なものをいっぺんに2つなくしてしまったみたいな寂しさが湧き上がってくる。道を歩いていて気づかず蜘蛛の巣を破ってしまったときみたいな、気持ち悪さだ。

それを振り払うように、「行こうぜ」とスグルに声をかけて、僕たちはまた歩き出した。

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