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滲み出る


間欠泉になることもあれば、湧水のようになることもある。

わたしの作品というのは、そのように湧き出てくる・しみでてくるようなものからできあがってくる。

以前も別の記事に書いたことがあるが、努力して捻りだしているものではない。

そのことが良いことなのか悪いことなのかは抜きにして、事実としてそこにあるのだ。

しみだしてくる場所には、何もない。

無がひろがっている。

そこからにじみ出るものが、こうしてかたちとなる。


わたしにはなにもないと思っていたし、いまもそうおもっている。

でも、なにもなくてもそこから滲み出るものから作品ができている現実がある。

わたしにはなにもないが、なにもないということが”ある”。

そして、わたしは創作することで存在意義を得ている。

また、わたしは創作することでリアルなじぶんを感じたり、意識することができるようになった。

そういった感覚が、自分の存在の自覚・補完につながり、より強固な己の存在意義の補完につながるのだとおもう。

つまり、創作はわたしのアイデンティティであるということだ。

自分とおなじような境遇であったり、きもちの人たちに届けたいという考えは未だかわらない。

そこに、わたしのアイデンティティであることが追加されたにすぎない。

こうした創作活動は、わたしにとってなくてはならない、かけがえのないことである。

わたしを、わたしたらしめていることなのである。