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鑑定は誰が読んでも同じであるべき! は本当?

同じツールを使っているなら 
鑑定は誰が読んでも同じであるべきだと言いますが
本当にそうなのでしょうか?

タロットリーダーのある講座で
タロットリーディングについてそう語った講師に
いやそれちゃうだろ!
と無意識に突っ込みました。

私は 違うと思っています
“同じであるべきではない”のではないかと思っています
それは読む側の人間のレベルもあるけれど
相手のレベルに合わせて伝えているかというところもあるから

むしろ、同じ答えであるべきなら
コンピュータにやらせた方がいいものになるじゃないか。
これからのAI時代には 占い師はいらないじゃんw

占星術の古典的な占術は 手順が決まっていて
意味が一緒で 表現の仕方の違いはあっても
同じ答えが読み解けた。
今となっては、手順もバラバラ 意味も全員同じではなく、
いや…元は同じところから 意訳・削除・追加を繰り返し元の意味から離れすぎて 意味に幅が出過ぎたものになったのだろう

歌舞伎のように
始まった頃から変わらず上演されるものもあれば
スーパー歌舞伎のように 今の時代だから生まれるものもある
占いもそうであっていいのじゃないか?

型があって 型どおりできて その上の型破りなら
誰が読んでもおんなじ結果であるべきではないと
お持ち帰りえるんじゃないだろうか?

型がないのに崩されたものに対しては
そりゃあかんやろwってなるんだけど

実際
ツールのポテンシャル
読み手の力量
受け取り手の受け取り力
この三つの掛け合わせで占い結果はその可能性を
大きく変化させる。
だからこそ ベースは同じであるべきではないのではないだろうか?

ん??どっちか読んでる方はわからんのちゃうか?
そんなことを思ったりもするが

まあ基礎ない人のはちゃめちゃよみと
基礎ある人の 拡大解釈は 同じように見えるかもしれないけど 全く質は違うものだってことが言いたいらしい😅

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