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手術して延命できるなら・・・今なら 思うよ

うちの父は 緊急入院して13日目に逝った。
6月 7月の白内障の手術で行っていた
手術前の血液検査では正常値で
手術後の血液検査では黄疸が出ていたらしい。

黄疸無視されたんだよね…。

白内障の手術後 
父の頭痛は凄まじかった
痛み止めの薬が効かない・・・。
何十分も起き上がれないほどの状態だった。
それでも 手術後の検査まで我慢していた父は
すごいなと思う。
手術後の検査で その痛みと手術は関係ないという医師に 本人は その痛みを我慢してでも引き下がり それでも 母が食い下がった結果
そのまま 検査を受けれるようになった

引き下がんなよ おとん・・・。

検査結果が出て
そのまま緊急手術 そのまま入院・・・。
それは新しい派遣先の初出社の前日のことだった。
父は「帰ったら死ぬ」と医師に言われたらしい。

あの時 母が医師に食い下がらなければ 
父はもっと早く死んでいたのかもしれない・・・。

頭の痛みは 骨が溶けていいたからだった
第一頚骨 これが 溶けていいたのだという
それによって 動くたびに神経を圧迫し 頭痛を引き起こしている。
だから首を支える器具をつけるという緊急手術が行われた。

何が原因かわからない。
ただわかっていたのは 血小板が激減していて
検査技師の知人が診ても 
「この人ほんとに生きてるの?」っていうくらいの数値だったってこと
でも生きてたってこと。

数日経って 原因は スキルス性の胃がん と告げられた
病院から治療はないから 早く転院するようにと伝えられた
転院先が決まり 転任する日程が決まり
そのひから 血小板の輸血がなくなり
転院するその日の朝 父は亡くなった。

今 こうやって文字にするとなんだか 転院させる気がなかったのかもしれないなんて 気持ちにもなる。

延命治療はしますか?
今の状態では 心臓マッサーはすると骨が折れる可能性があるからそれで死亡することも考えられますが・・・。って言われた気がする・・・。
それはいらない・・・。

今考えると 延命治療に 輸血も入っていたんだろう・・・。

それは もう 数年経って冷静さがある中での記憶だから思う判断・・・。

新しい派遣先に父の状況が良くないことを告げたのが 初出勤から一週間ほど経った お盆休み前の出勤で
お盆休みが明けた時には 亡くなったことを告げるようなそんな 周囲を驚かせるスピード感だった。

もう手の施しようがありません。
入院してすぐそう言われるそんな状態よりも
まだ手術して 治るそんな状態なのであれば
1日でも長く生きていてほしい
そんなふうに思うのは

もう手段が 何もないと言われたことがあるからかもしれない。

叔母は 母の前で注射を打たれて逝った。
静かに死んでいったのではなく 
一本の注射を打たれて母の目の前で逝ったという。

ただ 部屋の壁の額が歪んで見えたことを伝えた
それがきっかけで・・・。

一本の注射を打ったその瞬間 身体が痙攣し ガクンと息絶えたという・・・。
後ろめたかったのかもしれない
その翌年 私が風疹になった時 入院という話になり
頑なに拒む私に
婦長が飛んできていったのだ
「おばさんの事があったから いやなの?」
私は当時意味がわかっていなかった
まだ 母の死の状況を理解してなかったから。

あぁぁ あの時 後ろめたかったから 
婦長さんだったのか・・・。 
今となってはそんなことを思う

お医者さんも 看護婦さんも その当時は
うちの家族が行くたびに なんだか様子がおかしかったのは 叔母の死のせいだってことを
私は大人になって理解した。

叔母は 余命1ヶ月が  
3ヶ月を超えで生きていた あの時腹水を抜いててくれたら 
あの時 良い状態に向き始めた治療をしてくれた病院と同じだけの点滴をしてくれていれば
あの時 母以外に誰かがいてくれていたら・・・。
叔母とは もっと時間があったかもしれない。

いまや もうどうにもならないこと
今更 あの時こうだったら…なんて言っても仕方ない。
でも もし 可能性があるなら…
生きて欲しいものだ…。
失ってから 気づいては遅いからさ…。

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