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ありがとう…笑顔で言える自分がここにいた。

なあ 大阪の人って 
何にでも 「ありがとう」って言うのか?
彼にそう言われて 混乱した。

それは お好み焼き屋を出て
みんなの後ろをついて歩いていた時に
不意に横に彼が私に言った事だった。

「?」
「店の人が何か持ってくるたびに わかばは ありがとうって言うじゃん」
キョトンとしてると
「普通 言わん」
そういうと前にいる 友人達の中に戻っていった。
私は何も答えていないぞ・・・

あの時の記憶を 風景をゼロさんの記事が連れてくる・・・。

記憶 風景だけじゃなかった
感情も あの時思い出した おさないころのことも・・・。

私は 大事にされて育ったのだと思う。
周りの大人にたくさん 愛されて大きくなった。
親にももちろんだが その親たちの友人や
同僚 恩師にも大事にされてきた

いま手元に残る写真には
多くの人が写っていて みんなの笑顔の中に
私はいた。

ふてくされたり 隠れてしか写ってなかったり
笑顔で写ってないわけではない
でも人見知りで 内弁慶の私は
「ありがとう」その一言さえ言えない子供だった。
そして みんながよくしてくれる
そんな環境は当たり前で 
可愛げのない子供だったと今なら思える。

大人になって 人のお子さんにプレゼントしたり
お土産を渡すと そのこが ありがとうの手紙を送ってきたり
絵を描いてくれたりした。
私はそんなことしてこなかった・・・・。

感謝できない子だった。

幸せな環境を 当たり前だと思ってしまって
申し訳ないというか 
今更になって 感謝を伝える術も無くなってしまっていた。

子供の頃できなかった 自分が 
夏休み 喫茶店の手伝いをするようになると
いろんな場面で ありがとうを言われるようになった。
そんな姿を見て お店なんかでは
ありがとうって当たり前に言えるようになった事を思い出した。

「人にされたことは して返せる。」
おばあちゃんが言ってたらしい。
自分が手伝っている時 お客さんから言われた
「ありがとう」を 私は いつの頃からか
言えるようになっていた。

「こんにちは」
顔をあわせたら 挨拶をしなさいと言う会社のルールに知らない人に言えないでいた私は
今なら 知らなくても 「こんにちは」が言えるようになった。
山登りの時すれ違う人に 
「こんにちわ」と言えなかった 私は
今は すれ違えば こえをかけられる
「こんにちは  もうちょっとですよ!」
声を掛け合える・・・。

あの頃の私に教えてあげたい
君は すごいいい環境の中で みんなに愛されて
いる。 それは本当にすごいことなんだよ
いま ありがとうを伝えておくことは
未来の後悔を一つ減らしてくれるよ・・・。

当たり前は 当たり前じゃないんだよって。



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