1億円がなんだ。「芸術起業論」
お初の村上隆さんの本「芸術起業論」
美術でも音楽でも舞台でも文学でも、「芸術」で括られる世界の「食べていく問題」は本当に切実。その世界をちょっとでも見ていたら、綺麗事のように「お金なんて関係ない」とは言えず、芸術と経済をどう結び付けていくかは、常に課題になっていること。
なので、「芸術起業論」というタイトルは目を引くし、アーティストにも必要なことだと思うし、だからこそ知りたいと思って手を取った。
けど・・・
この人が一貫して言ってることは(いや、あちこち論理が破綻していて、細切れで読みにくいのだけど、なんとか一貫してそうなポイントを探ると)、「生きている時代に評価されて売れなければ意味がない」ということ、売れるためには(村上さんの現代美術の世界の場合は)「欧米のアート界のルールを知り、それに従うこと」
既成のルールに従う時点で、それ芸術じゃないし。
と思いました。
どんなアートも好き嫌いはあれど敬意を払いたい、というのが私の基本的なスタンスですが、売れるルールに則って作品を作るという時点で、アートの発祥地点が逆転している。
それは「商品」だよね。と思いました。別に商売をすることが悪いわけではなく、それならばアートを名乗らずに製造販売業でいいのではないかと。
確かに世界のアート界で作品が1億円で売れることはすごいこと。でも、この人の作品は時を超えて残るのだろうか。
「ピカソの価値は落ちてないか」なんて言っている彼の作品は、同じ年月が経った時、美術館に現役でこれだけの数が飾られているのだろうか、アートの歴史の中に、彼はいるのだろうか。
いる必要もない、今売れれば。というのだとすると、やっぱりそれは時代のニーズに沿ったアート商品でしかないと思う。
芸術って、もちろんその時代時代を色濃く反映させたものだけれど、時には時代を先取りして、時にはどんなに古くなっても色褪せない、そういう時空を超える力のあるものじゃないかと思っている。
そことお金がイコールじゃないところが、いつの時代も皮肉なことであり、それでも生きて行くアーティストの凄みでもある。
だからこそ、芸術を商品にすることだけじゃなくて、わかりやすくお金に結びつかないアートを、どのように経済と結び付け、作り続けることやさらによくなり続けるという循環ができるのか・・・またはそういうアーティストのサポートができるのか。ということこそが起業論だと思うのだけれど、村上さんのやってきたこと自慢に終始していて、そこから学べるものがあまりなかったなあ。なんだか過激なことを言えば売れるみたいなやりかたの原型のような本だった。
作品制作の原動力が「怒り」だというのを読んで、なるほど、というか、彼にとってはアートは反骨じゃなくて復讐なのだなと思った。
自分を評価しなかった人たちへの復讐。その証としての1億円。
それは、なんだかとても切ないことでした。幸せに見えないし。
この人のアートが世界の中でどういう位置にあり続けるのかは見続けていきたい。でも、この本の再読は、ないかな。