見出し画像

大企業を捨てるという決断。中川家礼二の言葉で、転職への決心がついた話。

オンライン会議越しに、私は話し終えた。
私の語尾は震えていた。

ややあって、人事が言った。
「そうですか…」
「会社としても大きな損失ですし、非常に残念ですが、そう決められたなら良かったですね」
「まだ迷いがあるように聞こえるんですが、何か今相談しておきたいことはありますか?」

止めてくれ。

今日の日を迎えるまでに、どれだけの時を費やしてきたと思ってる。180日。180日だ。180日の逡巡と足踏みと無気力。そして幾夜も耳元に訪れ私の枕を濡らした「これで良いのか?」「残って楽しようぜ」という悪魔の囁き。もう十分悩んだよ。あまりの優柔不断さを恋人に叱られたりもしたよ。十分親には心配されたよ。

だけど、やっと決心がついたんだ。

私は今日、2年と半年勤めた会社に、退社の意向を伝えた。

私は今の会社が、大好き「だった」。
いや、今もキライじゃない。
だけど、今の会社にいる自分が、「キライ」になっちゃったんだよ。

今の会社への入社は、学生時代の就活の努力の結晶だった。
入ってしまえば御の字、私は本気でそう思っていた。

米国から帰国して3年次から始めた「外資就活」の到達点。
その名を知らないものはいない世界的企業だ。世界中どこへ行ったって、「ああ、〇〇〇〇さんにお勤めなんですか?凄いですね!」なんて言われて、気恥ずかしくなった。先日社会人スクールに申し込んだ時でさえそうだった。会社の名前を口にした途端、スタッフの目の色が変わり、口角がぐいっと上がって、「うちは入学審査がありますが、まあ著者さんみたいな経歴をお持ちの方は優秀だと思いますのでほとんど心配はしていませんよ」と熱烈に勧誘を受ける始末。
極めつけは、母親の表情の急激な変化という爆弾だった。私の会社のネーム・バリューに鼻高々だったらしい母親は、私が転職するつもりだと伝えると、露骨にがっかりして、全力で止めてきた。

今の会社を「辞めたい」と思ったのは、6ヶ月前のことだ。

前にも書いてきたが、昨年から、私は今の会社には、良い意味でも悪い意味でも、相当色々な経験も思いをさせられてきた。
外資企業独特の、「収益が出ない」と判断された瞬間に、事業部もプロジェクトもお客さんもバッサリと切り捨てるスタイルに愕然とし。昨年の個人目標であった、新規開拓と売上目標を達成した結果、一人で $20M (200億)きっかり達成して稼いで持ってきたのに、「ああ、もうそれは計上しませんから」、そうマネージャーに一蹴される。

それからだ。私が「もうここにはいたくない」と思ったのは。
売上が計上されなかったからじゃない。夏に一度倒れるまで働いて成し遂げた目標達成のための努力が全て、燃え盛る炎さえ吹き消すような冷たい言葉で消えさってしまったからだ。「会社にとって」利益とならない全ては、水泡に帰した。勿論、会社におんぶに抱っこでいるつもりはない。会社で自分の居場所は自分で見つけるものだ。それは知っている。だが、どこへ行っても、その圧倒的な事業規模に、会社員の保守的な態度に、毒されて枯れていくだけだ、私はそう悟った。

それからは完全に脱力し、数週間以上、ロクに仕事もせず、検定試験の問題ばっかり解いていた。その頃ちょうど海外へ行く用事があったから、2週間の帰国後は辞めよう、そう思っていた。

だが、私は辞めなかった。辞める事ができなかった。
このときの私の精神状態は、少しおかしかったらしい。

なぜか。
私は「学歴コンプレックス」を抱えていたのだ。

時は遡って8年前の2015年。
高校で成績が良かった私は、2年次の教室で放課後、担任から、「難関大学受験コース」を取るように勧められていた。旧帝大、医学部を志す学業優秀な生徒達だけが集められた無料の放課後補修講座への誘いだった。真面目な性格の私は、良い成績を保つことは当たり前だと思っていたし、特に行きたい大学も無かったので、言われるがままに受けさせてもらうことにした。

それから私は、目標を一橋大学に定め、週7日のバスケの練習の合間を縫って、電車の中で、毎日寝るぎりぎりまで問題を解いた。直前期の一橋模試の判定はA。受かる、そう思い込んでいた。苦手な数学を全て他の教科でカバーして、センター試験の足切りを通過して、二次に望む。

結果は、不合格

合格発表に一緒に向かった母親が、私が落ちたことに気づいて、隣で怒っていた。私にもう言葉は無かった。

2年半のバスケの猛練習と勉強の詰め込みで燃え尽きていた私は浪人をせず、滑り止めの大学に現役で入った。
だがそこから、私は考えないようにしていた学歴コンプレックスに苦しみ始める。その頃から英語が得意なことだけがアイデンティティだった私は、入学時から高かったTOEICの点数や、1年の留学経験で、なんとか自分の価値を高めようとあがいた。帰国後は速攻で英検1級を獲得した。4年を通して成績は保ち、卒業時には、学科と副専攻の「成績優秀者」として、表彰された。

そして4年の冬、憧れの外資から、内定を貰った。

ここで終わりだ。
私の学歴コンプは完全に消滅した、そう思っていた。
情けない自分に遂に勝った、そう思っていた。

だがそこで終わりじゃなかったのだ。
私は無意識に、「学歴ロンダリング」ならぬ「就活ロンダリング」を追い求めていたらしい。
もう辞めたい、と幾度となく思ったのに、とうとう決心がつかなかったのは、私が「就活ロンダリング」に成功したから、それを手放したくない、そう思っていたからだった。

自分でも信じたくなかった。そんなはずはないと、今年の1月から転職先
を必死に探し始めた。"LinkedIN"から大量に届く外資系人材会社からのリクルートメッセージ。今の英語力を活かさないともったいない、もっと年収が上がるから、とコンサルタントは私を言葉巧みに様々な外資系企業へと紹介し、実際に何社かは選考に進んだ。だが私は全て、辞退した。年収がいくら上がろうと、行きたくなかったのだ。

「今の会社が好きだから?」 No.
「今の会社にいる自分が好きだから?」 Yes.

私は、そのネームバリューにしがみついた。笑ってしまうほど情けない話だ。「ブランド」という看板を背負った営業など、虎の威を借る狐もいいところなのだから。入った会社のネームバリューが、一体自分とどう関係があるというのだ。今になって思う。

だが、状況は悪化するばかりだった。
泣きっ面に蜂とはこのことで、昨年から続く業界全体の経営難から、年収はカット、福利厚生が半減するなど、今年からあからさまに就労環境が悪化した。マネージャーは優秀層の人材流出を恐れ、「こんな状況のときこそ、頑張っていきましょう」とにこやかに発破をかける始末。吐き気と目眩がして、カウンセリングを受けた。そこで私ははっきりと気付かされる。

幼き頃に東京駅で観た、ケータイ片手に忙しそうに歩きながら、英語で流暢に話す女性が思い浮かんだ。
そんな女性が、ずっと憧れだった。
それから15年後、私はその女性に、なっていた。
「丸の内外資OL」。
それが、2年の間、私のアイデンティティだったのだ。自分に自信の無かった私は、自分の組織に、守ってもらおうとしていたのだ。

嫌だ嫌だと言いながら「やっぱり良いところもあるから辞められない」状態を、「駄目男に依存している女性」状態と同じだ、と、知り合いが言った。その通りだったと思う。自分の価値を高めるのは、場所じゃない、そうわかっていたはずなのに、足が動かなかった。だってアイデンティティを、失ってしまうから。それが今年の3月。

それから2ヶ月間、「今までの「辞めたい」は全部嘘だったのか?」「悩んでいる暇があったら、転職活動すれば良いのに」、そんな声と、戦い続けた。同僚や上司に伝えれば止められてしまう、心配されてしまうと抱え込み、途中で業務中涙が止まらなくなったり、いっそのこと全て投げ出して、一日中PCを閉じて寝ていようかと思うことも何度もあった。

気分もMAXまで落ち込んでいた時、ある転機が訪れる。
私は大好きな中川家のコントを、寝付けない夜にふと、観始めた。

ゆりやんが吉本の新人マネージャー役で、理不尽なパワハラ気質の上司役、中川家の礼二に、厳しく指導されるシーンを描いたコント。ゆりやんは、あまりの理不尽さに後半で「辞めたい」と泣き出してしまう。このシーンは以前から何度も観ていたのだが、何故かこの時、礼二の一つの言葉が、頭に残った。

「思ってたんと違うか」
「はい」
「ああ、俺もそれで25年ずっとそれでやってるけどな。しょうがない、もう俺は家族もいるしさ」
「はい」
「おまえ独身か。いつでも辞められるよこんな会社」

状況も違う。年次も業界も違う。そしてあくまでこれは、コントだ。
だが、礼二の仕事で辛い思いをする社員への、「自分の状況を鑑みた上での、業界のベテランからのアドバイス」が妙に現実的に感じられ、最後の言葉が、私に向けられたように錯覚してしまった。ハッとした私は、次の日から、自然と手を動かし、転職先を探し始めていた。きっかけは何だって良かったのだ。たった一つの「フィクション」それに「お笑い」だ。だけど私は、明確にこの夜をきっかけに、ずっと視界を邪魔していた雲が晴れたのを覚えている。

今思えばそうだ。
私はこれまで好奇心の赴くままに、生きてきたのかもしれない。
その結果行き着いた場所で、精一杯の努力をしてきた。

楽しくないところに、いる必要なんてないじゃないか。
何故、良くビジネス本の著者の経歴に書かれるような輝かしいキャリアやネームバリューに拘らなければならないのだ。

今の私の状況を現すのに、大石昌良の曲が流れる。


「学歴とか社歴とか成長とかネームバリューとか」
(頭の中お花畑だとか少女漫画だとか)

「なんだってどうだっていい」

のだ。
私らしさや、行動原理は、もっとシンプルで、私はこれまで、何か心を掴むもの、ハッとされるものに惹かれて生きてきたんじゃないか?

転職も、せっかくなら「楽しもう」、そう呟いてみた。
以前書いた「社会からの受動的焦り」は今もあるし、きっとこれからもずっとある。だが、心惹かれるものに対するアンテナだけは、どうしても大事にしていきたい、それが6ヶ月悩みぬいて出した、結論だった。

そんなつもりで、転職本も何冊か読み始めた。転職の名著、北野唯我の「転職の思考法」を勧められて読み、自分のキャリアに関する解像度を上げた。「辞めたい」が、「自分のために変わりたい」に変わった。その為に、自分が行きたい場所を選ぶ。特に下の図などは分かりやすかったが、今までが「業界出世型」だとしたら、今後はどこへ進んでいきたいのか?等、冷静に分析するようになっていた。

北野唯我「このまま今の会社にいても良いのか?と一度でも思った時に読む 転職の思考法」ダイヤモンド社 2018年 P.35


結局私は、複数のエージェンシーに登録をした結果、数社から内定を貰う状況となり、もう少しで次の職場が決まろうとしている。

今回の転職に際して私は、動き出す前に、動けなかった時間も、苦しんだ時間が「無駄」だったのではないかと思い、何度も自分を責めた。だがそんな時に、「今が大事な時期だ」と励ましてくれた友人の言葉や、立ち止まった時に聞き返す Miley Cyrusの "The Climb"が、少しずつでも前に進む気力を与えくれた。


人は悩んでいる時に良書に出会うとか、アドバイスがいつにもまして有り難く感じると言うが、「お笑い」それに今回の中川家のコントがそれだったとしても、私は感謝している。
過去の後悔やコンプレックスに向き合い、半年後に結論を出した自分を、少しは称えてやらないと、そう思っている。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?