夏、そうめんについて
茹だるような暑さが続いている。暑すぎるのか、蝉の声も聞こえない。
食欲もさほど湧きそうもない夕方、冷蔵庫を開けても半切れの大根くらいしか食べるものが見つからなかったので、仕方なく乾き物を入れている棚を覗いたら
そうめんの袋が見つかった。
「揖保乃糸」と書かれたパッケージを見て、冷蔵庫の中をもう一度見、つゆがあることを確認したのち今年初のそうめんを茹でることが決定した。
そうめんを菜箸でかき回している最中、小学生低学年頃の記憶が駆け上がってきた。
初夏の、田植えの時期の記憶。
20年ほど前、祖父が元気にしていた頃、実家では農業を営んでいた。米といちごを中心に育てていたため、5月には家族総出で田植えを行うのが恒例行事。
ちょこちょこと遊び回っていた自分が田植え時期にする事と言えば、アイスやお菓子を貪ることと、そうめんを茹でることだった。
小さいながらに、そうめんを茹でることに情熱を燃やしていた。
顔よりも大きい鍋をコンロ下の棚から出し、水を入れる。水が入った鍋は重いので気をつけながらコンロまで運ぶ。鍋を見下ろせるように椅子をコンロ前に運ぶのも忘れてはいけない。
沸騰させている間にそうめんを取りに行く。そうめん作りには段取りが大切なのだ。
そして今日食べる分のそうめん(6人以上いたので結構な量)の束を袋から出し、
束を包んでいる紙を解いていく。この紙がなかなか曲者で、もたもたしていると鍋の水が沸騰し、タイムロスになってしまう。
無事に全ての紙が解けたら、そうめんを一斉に鍋の中へ放り込む。
熱湯の中でうねるそうめんを菜箸でくるくるかき混ぜながらラストスパートへと緊張感は高まっていく。
ある程度そうめんがくったりしてきたら、吹きこぼれに備えて水を準備するのだ。吹きこぼれ如きにパニックになっていたら茹でリストの名が廃る。
熱湯がそうめん達を引き連れて湧き上がってきた瞬間、水を掛けて鎮めるこの瞬間が好きだった。
そうめんが透明感を帯びてくるのを確認した後、水に晒すためのザルを用意。
ここも手際よく行う。
そうめんをザルにあげ、冷えるまでは麺には触れない。熱いうちに麺に触ってしまうと、手の匂いが移ってしまうと祖母に念を押されていたからである。
それを忠実に守り、麺を冷やしている間に盛り付けのザルを取りに行く。
ザル部分が白、受け皿の部分がエメラルドグリーンの盛り付けザルはそうめんの度に使用されるスタメンであった。
麺が冷えたのを確認し、盛り付けザルにひとつまみずつ乗せていく。じゃば、しゃば……と音を立てながら麺を乗せていく作業は、人を無心にさせるのである。
そうこうしていると田植えがひと段落ついた大人達がぞろぞろ帰ってくる。
その声に少しほっとしながら、声の方向に小走りで向かう。
そうめん作ってくれたん?ありがとうなあ
玄関でその言葉を聞くと、ああ自分も自分なりに役に立てることがあるんだなあとじんわり嬉しくなったのを覚えている。
今でも大鍋と盛り付けザルを持つと、夏が来たなあとしみじみする。
今週、久々に帰省をするので、久々に大量にそうめんを茹でてこようかなと思う。
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