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時代と生活するプロになりたい!

メディアリテラシー
これは私が学生の頃、技術の科目で学びました。

ネットが人々の生活の中に入ってきてから、人々の生活に様々な変化をもたらしたのは、今を生きている私達が1番実感することです。
それは良い事も、悪い事もあります。
そんな良しにしても悪しにしても、その変化の起因となるのは、ネットを使うことによって私達の手元に来る情報量が著しく増量したことだと私は思うのです。

私は大学時代に、アジアの様々な生活様式な文化、考え方に触れてきました。中には日本よりうんとメディアを提供する会社が多い国もあって、"日本はまだまだ少ない方なんだよ"ということを教えてもらったことを覚えています。

そんな日本に私は住んでいるのに、色んな情報の錯綜にてんやわんやする国民の姿を沢山見てきました。今もそうです。

つい数ヶ月前まで学生をしていた歳である私は、小学校、中学校、高校、大学と、各教育機関に通う度に「ニュースの信憑性を見極める重要さ」を学んできました。年が幼ければ結構ホラーに感じる映像も、教育の一環として観させられています。だからか、私は信頼度の高いソースの選別は昔から気を使います。

それでも、何が本当の情報なのか"神のみぞ知る"案件は両手でも救いきれないほど存在します。完全な選別は正直、神の領域だと思います。でも私は可能な限り、正確な情報をすくい取る精度を磨いていたいです。それは、文字の羅列の1文字1画で変わって伝わる生命体の感情、状況の描写の真実とは違う僅かな誤差が、人を疑ったり、一人を悪にしたり、生きる誰かの望まない結末を生む可能性を作るからです。私は20数年今生きているけれど、これをたくさん経験してきました。これらが何かネガティブを招いたことを知るたび、どんな形であっても心は痛いものです。

私はよく、"生きるためには想像力が必要不可欠"と唱えます。ありがたくも私を選んで相談してきてくれた後輩たちには、必ずこれを強調してきました。肌で感じて痛い目をみた子たちの多くは、たくさん頷いてくれます。でも、私より何年も先に成人のラインを踏んだ人たちに私の生きるモットーを伝える機会があると、半分くらいは笑う人たちがいます。

それほどある種平和でも、私達が生まれる前の時代は生きてこれたかもしれません。しかし、そんな彼らと教育の方針が、長い時間をかけて方向転換の点を何度も叩き直された跡地に降り立つ私たちの年代や、またそれより後ろで生きている子たちにも、これとは違う"平和ボケ"は漂います。

そんな中でも知恵をつけたり、情報を精査したり、想像力を養うために時代を知る努力は、私たちが生きていく上で必要な技術です。資格を作って、運転する人に必要な運転免許のように、これからの社会を生きる国民にはある程度までのレベルを必修にさせても良いくらいだと思います(義務教育の卒業証書のような)。

それほど、誤った情報を掴み真実を知ろうともせず、知ったか顔で耳を塞ぐことは危険なのだと、包丁を持ったまま周りへの配慮もなく部屋をうろつくことと似たようなことをしているのだと認識しながら、私は生きます。

日本人は自分に馴染みのないことを突っ放しがちな国民性ですが、それでも折れずに強く、生きていく。そのための手段に私は、情報の質の判断能力の磨きに時間を割きたいのです。

頂いたサポートにお応えできるよう、身を引き締める材料にしたいと考えています。宜しくお願い致します。