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カムイン!第1話

あらすじ
淡々と毎日を過ごす内科医の博和。
たまたま出会ったPlayMiningというゲームプラットフォームのブロックチェーンゲームを入り口としてメタバースコミュニティ「カムイバース」に参加することになる。地方都市の田舎から世界とつながる体験を経て、一人の男が物事への考え方や視野を広げていく物語
 
第一話
 
 今年もたくさん降った雪がすっかり解けて春になった。降雪量が多く、寒く厳しい冬が長い分、雪国生活をしている俺にとって春の日差しは一際まぶしくありがたいものに感じる。そんな春の穏やかな陽気に包まれた朝。キラキラと輝く光が降り注ぐ診察室のシーンからこの話は始まる。
「おはようございまーす」
 診察室に差し込むさわやかな陽の光とは対照的に、くたびれた中年の男が挨拶なのかつぶやきなのかわからない覇気の無い小声を発しながらノロノロと入ってくる。デスクにはカルテがすでに何冊も積まれており、診察待ちの患者が複数いることがわかる。それをちらりと見て「今日もあまり楽はできないのか」とチッと小さく舌打ちする。
「大体いまどき電子カルテじゃなくて紙カルテなのはどうなんだよ。最近小さい字を読むのも書くのもおっくうなんだよな。」
一人で誰に対してなのかもわからぬぶつけどころのない不満をつぶやく。
「おはようございます。先生、もう患者さんがお待ちですよ」
ベテランで忙しい外来を仕切っているお局看護師の金田さんが、ダラダラと診察室に入ってきて面白くなさそうにしている俺を待ち構え、さっさと診察しろと言わんばかりに声をかける。
促されてもマイペースにゆったりと椅子に腰かけ、デスクに積まれたカルテの山を眺め今日の一日の大まかな計画を頭の中に描く。俺は計画的な男なんだ。
「先生、患者さん中に入れちゃっていいですか?」
だらけた子供に苛立つ母親のように金田さんが俺に仕事をするように促す。
「はいはい、じゃあ国枝さん、どうぞー」
カルテを開きながら診察室に患者を招き入れる
診察開始時間は9時半だと待合室にしっかり掲示しているのに近所の高齢者たちは9時には待合室に来て座っている。掲示通りの時間から開始しているのにすでに待たされてる感を出してくるのはやめて欲しい。ただ5分遅れただけじゃないか。さあ、いつもと変わり映えのない一日の始まりだ。
 
 俺は荒木博和、42歳、職業は内科医。ドラマでは「なんで医者を志したのか」という問いを投げかけられたら主人公の医師は「難病の母親を治すため」だとか、「子供の時に大きな事故に会い天才外科医に命を救われた」だとかドラマチックなきっかけを語るのが相場であるが、残念ながら俺には特に医者を志すような立派なエピソードは無い。自営業を営む両親の家に生まれ、普通の家庭で普通に育った。父方の姉、つまり俺の叔母さんが医者で、同じく医者の夫と共に病院を経営していた。普通の家庭に育った俺からしたら小学生の子供の俺に会うたびにポンとお小遣いをくれる優しくて羽振りのいい叔母と叔父を見て「医者って儲かるんだなぁ・・・」なんて鼻水を垂らしながら思ったりしていた。中学に入る頃には父親から「お前は医学部に行くって言ってたよな」なんて言われて「そうだっけ?」とか思いながらなんとなく医学部を志望することになった。幸い道を踏み外すこともなく、地元の国立大学の医学部に入学した俺は部活動やバイトで忙しい毎日を送りつつもなんとか卒業し、国家試験に合格、そのまま地元の病院で研修をした。研修医の時に、たまたま行った講演会で後に恩師となる先生の認知症の講義に心を打たれて神経内科医としての道を歩むことを決めた。     
 「神経内科」と言う科は脳、脊髄、末梢神経等の病気を診る科で、有名なところではALS(筋萎縮性側索硬化症)、パーキンソン病、ギランバレー症候群とか知らない人からしたら難しそうな病名が多い。それらの難病はしばしばドラマや映画でお涙頂戴の題材として扱われることがあるが、それは患者側のドラマであり、神経内科医が主人公の作品は俺が知る限り、無い。それは何故か、答えは簡単で、仕事の内容が地味だからだ。医師を題材とした作品は数多くあるが、バリバリの救急医や外科医が、魑魅魍魎の医局の闇を暴いたり、派手な事件や難しい手術をしたりと、切った張ったの世界ばかりだ。キラキラした研修医たちの恋模様、そんなことあったっけ・・・?あるところにはあるのかもな。
 それにひきかえ神経内科は手術なんてしない。診察と言えば手足がちゃんと動くかとか、身体が勝手に動く原因は何かとか、最近ばあさんの物忘れがひどいとか、脳のMRIとにらめっこしながらあーでもないこーでもないとカンファレンスを繰り返す。それでも大学病院や大きな総合病院では設備も整っており、アカデミックな知的好奇心を満たすのは可能だった。俺も若い時は大学病院で脳梗塞の救急診療をして、毎日、昼夜問わず呼び出され、良く言えば充実した生活を送っていた。それにも疲れた30代半ば、間接的に医師を志すきっかけをくれた叔父が病に倒れ、介護施設併設の病院経営を手伝うために医局を辞めてこの地にやって来た。叔父は残念ながら、その数年後に亡くなってしまった。叔母も高齢でこの春引退することになった。
 こうして俺は今、MRIも取れない田舎の小さな病院でアカデミックな神経内科の世界からもドロップアウトし、細々と地域の高齢者医療に携わっているって訳だ。さっき言ったような有名な病気もあまり診ることが無くなった。来るのは血圧や血糖が高めな中高年や、物忘れが進んでいると訴える高齢者ばかり。ドラマのようなハラハラする展開なんて当然起こらない。医療ドラマの登場人物達の心情よりもシルバー川柳の大賞作品の方がよっぽど共感できる。
 
 診察室に近所のじいさんが入ってくる。国枝喜一90歳、男性。90歳と高齢にも関わらず腰が曲がるどころかピンと伸びた背筋でスタスタと歩く姿は立派なものだ。
「どうも国枝さん、変わりないですか?」
いつもと変わらぬ様子の国枝さんを一瞥し、どうせ変わりないだろうと思いながら定型文と化した同じ質問で診察を開始する
「それが変わりあるんですよ!」
どう見ても元気そうな国枝さんは眉間にシワを寄せながら深刻そうに答えた
「何、どうしたの?」
俺は顔を上げじいさんの顔を見る。もしかしてドラマが?
「金が無いんですよ」
じいさんは答える
「うん、俺も。このご時世皆一緒だよ。いつもと同じ薬出しとくね」
俺はいちいちツッコミもせず淡々と診療を続ける。月一でやって来るこのじいさんとはこんなやりとりを繰り返して早いもので数年が経つ。
「はい、次の方―」
次は初めてうちを受診するじいさんだ。佐田庄吉79歳、男性。神経質そうな妻の三枝子の後について診察室に入ってくる。日本は核家族化が進み、子供が都会に住み、地方に残った高齢の夫婦が二人で生活している、なんてケースが多く見られる。この夫婦もこの地で二人、手を取り合い生活しているようだ。
「先生、大変!うちの人、ボケちゃったんです!」
白髪を明るめの茶色に染めた三枝子さんが夫を指さしながら話す。
「そりゃあ大変だ。どんなこと忘れるの?」
認知症が疑われるかもしれないと俺も身構える。
「それがね、この人この前、私の誕生日だったのにそれを忘れちゃったんですよ!」
深刻そうな奥さんを横目に庄吉さんが気まずそうにしている
「・・・それだけ?」
認知症のテストを念のためにしてみたが、庄吉さんの認知機能は問題なかった。というか、妻の誕生日を覚えていて何かサプライズをする優れた夫は世の中にどの位いるのだろう。おれも結婚記念日や妻の誕生日を忘れて帰り、家族と気まずい食卓を囲んだことは何回かある。
「お母さん、お父さんの認知機能は大丈夫みたいだよ。また何かあったらいつでも来てね」
別に俺の両親でもないが、「じいさん」「ばあさん」とは呼びにくいので俺は患者さんをよく「お母さん」「お父さん」と呼んだりしている。
「そんなことない!私の誕生日を忘れるなんて認知症に違いないのに・・・」
ヤブ医者を見るような目つきで不服そうに言うと三枝子さんは診察室を出ていった。後に続く庄吉さんが帰りがけに「すまないねぇ」といった感じで俺に手を軽く上げた。俺も「お互い大変ですね」と手を振り返す。ヒステリックな妻に認知症を疑われて病院に連れて行かれても文句も言わず認知症のテストを受ける優しい夫じゃないか。その妻は妻で夫を愛しているがゆえにちょっとした変化が心配になったのかもしれない。こういう時にもう少し納得のいく言葉をかけてあげることができなかったかなと思う事はしばしばある。病気を心配して病院を受診してくる人の中で、病気ではない人は結構いる。その時に医者が「異常ないから大丈夫」と言っても納得しない人もいる。そんな人が欲しい言葉を適切に選んで声をかけてあげられるのが名医なのかもしれない。俺もまだまだだな。 
 まあ俺の診療はこんな感じで物忘れ、膝腰が痛い、夜眠れない、トイレに間に合わないみたいなそんな話ばかりだ。もし俺の病院に若い医者が研修に来たら退屈してしまうだろうが、俺はそんなじいさんやばあさんの相手をするのはそれほど嫌いではない。むしろ人生の大先輩である高齢者達の診療を通して、色々と教えられることもある。世間一般の医者のイメージである「命を助ける」とか「病気を治す」とかは俺には難しい。できるのは一緒に悩むこと、悩みに寄り添うこと、悩んでるのは自分だけじゃないって伝えること位だ。そんな仕事を俺はけっこう気に入っている。
 神経内科医になったこともドラマチックでは無いというだけで決して後悔しているわけではない。むしろ自分は神経内科で良かったと思う程だ。負け惜しみではない。言えば言う程そう聞こえるかもしれないが。またそのうちに神経内科の良さを語ってみたいと思う。
 
 今日もそんな変わりばえの無い診療を終え、昼休みになった。
妻が作ってくれた冷凍食品ばかりの弁当を開けながら、唯一の趣味である投資関連の情報を見るためにTwitterを開く。昨今SNSは色々あるが、写真投稿をする系のSNSは都会で医者をやっている大学時代の友人が高級フレンチでいくら使っただの、海外旅行でどこどこに行っただの景気のいい話で溢れていた。俺はと言うと、田舎でなんだかんだ忙しく、家族と外食してもチェーン店や地元のラーメン屋ばっかりだ。幼い子供を連れて疲れ果てるのが目に見えているので遠出の旅行もめったにしない。そんな地味な自分の生活と都会の派手な生活のギャップに辟易していた。そういえば、新型コロナウイルス感染が流行した後は海外旅行やきらびやかな飲み会のような発信がめっきり減ったな。あいつらは人々から多くの物を奪ったけど、その点においてのみ、俺は救われた気がする。Twitterはリアルの知り合いとは繋がらなくて済むし、匿名で欲しい情報を得られるので重宝している。
 
『暗号資産のDEAP Coin(DEP)が国内取引所に上場!』 

 冷凍食品を頬張りながら記事を読む。俺も口座を開設している暗号資産取引所に新しい暗号資産が上場したという内容の記事だった。あくまで記事を読んだ俺の理解なので事実と異なる可能性があるのは初めに言っておく。投資は自己責任で、と言うのが基本だ。
 ある暗号資産というのは正式名称「DEAPcoin(ディープコイン)」、ティッカーシンボルDEPというものだ。「PlayMining」と言うゲームのプラットフォームで使える暗号資産らしい。PlayMiningのゲームの特徴はNFTというものを買って、それを使ってゲームで遊んだり、人に貸して代わりにゲームをしてもらうとDEPが貰える。ゲーム報酬として得られたDEPは暗号資産取引所で円に換えられる。つまり、ゲームをすることでお金が稼げるのだ。子供の頃にゲームの中でゴールドが貯まったりして「これが本当のお金だったらなぁ」とか、ダンジョンをクリアして手に入れたレアな装備品をゲームに飽きた後に人に売れたら、なんて考えたことは誰だってあるだろう。それが出来る可能性を秘めたものがブロックチェーンゲームってわけだ。「ゲームばっかりしてないで勉強しなさい!」なんてステレオタイプな説教はもう古くなるのかもしれない。
人によっては「ポンジスキームだ」とか「そんなうまい話がある訳がない」とか言うだろう。どうやってその経済圏が維持できるのか。PlayMiningに関して言うとそれは社会課題の解決に鍵がある。それを可能にする一つの方法がスカラーシップ制度だ。スカラーシップ制度はNFTを貸して、借りた人にゲームをしてもらった対価に報酬を払うことでその人の生活を支援できる仕組みである。世の中には数多くの社会課題があってそれを支援するお金の流れというものがある。そのお金の流れを取り込むことができれば、持続可能な経済圏を構築できるってことらしい。
 
 俺は色々調べた結果、怪しむこともなく導かれるようにして、PlayMiningのアカウントを作り「Jobtribes」というゲームを始めた。なぜ怪しまなかったのか、それはPlayMiningやJobtribes関連の情報を発信しているコミュニティが平和で穏やかな雰囲気だったからだ。よく言われるネット上の匿名の誹謗中傷とか炎上みたいなのとは一線を画しているように俺には見えたのだ。実際、ゲームを始めてそれに関連した発信をすると自分より前に参入しているユーザーがコメントしてくれたり、わからないことを教えてくれたりとPlayMiningのコミュニティは居心地が良かった。株をやってた頃からTwitterは利用していたが、いわゆる株クラという強者ぞろいのコミュニティより自分には合っていたようだ。
 Jobtribesは職業をテーマとした職業神のカードを使い、敵を倒すトレーディングカードバトルのNFTゲームだ。初めは無課金でやっていたが、NFTを買うとカードが強くなって、キラキラ光る。やっているうちにキラキラと輝くめちゃくちゃ強いNFTがどうしても欲しくなってしまい、持っていた株を売り払って買い揃えてしまった。ここで俺は事実上、株取引からは足を洗うことになる。初めてNFTを買った時のワクワクは忘れられない。子供の時にファミコンを親から買ってもらった時とか、ドラクエIIIを手に入れて初めてスイッチを入れた時の高揚感に似ていた。そういえば、医者の職業神もいくつかある。麻酔科医、外科医、眼科医、小児科医、看護師もあってそれぞれかっこいいイラストで羨ましい。やっぱりというかなんと言うか、ここでも神経内科医は職業神になっていない。地味だし特徴ないし描きようがないか・・・
 
 俺とplayMiningの出会いをかいつまんで言えばこんな感じで、Play to Earnの世界に足を踏み入れたのだった。
 
 こうやって文字に起こしてみると、中年の男が暗号資産投資に出会い、転落、借金、家庭崩壊へと進む地獄のような展開になることを期待する人もいるかもしれないが、残念ながらこれは一人の医師の転落劇とかではない。憧れのドラマチックな展開もないだろう。まあ、DEPの価格が高騰して億り人になった俺が某美容外科クリニックの院長みたいになっていくサクセスストーリーになったらいいなぁとは思うがそんなにうまく行くものでもないだろう。そうだったらいいけどいいなぁ。おれも高級フレンチを食べながら聞いたこともない高いワインを飲んだり、港区女子と戯れてみたいものだ。
 今回は俺とPlayMiningとの出会いについて。次回はカムイバースに触れてみたいと思う。暇だったらでいいので読んで欲しい。

第2話:https://note.com/shirosekai/n/n7a14a8dd6b7d


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