何でも話さない関係

僕はまったく社交的ではなく、
コミュニケーション能力も低いことから、
友だちと呼べる人があまりいない。

逆に言うと、
こんな自分でも友だちと呼べる人が何人かはいる、ということ。
とてもありがたいことだ。

ふと、なんでこの人たちとは仲良くできているんだろう、と考えた時、
ひとつの答えに気付いた。

それは、「話さないで良い安心感」だ。

友だちだとか、仲が良いだとか、親密であるとか、
そういうのを示す根拠として、
「何でも話せる」関係っていうのが第一にあると思う。
実際、僕自身もそう感じていたことはあるし、
今でも少なからずそう感じている部分はある。

確かに、「何でも話せる」関係って素晴らしいことだ。
他の人には言いにくいことでも、
あなたになら話せる、あなたには聞いてほしい、って思えるのだから。
そんな存在がいてくれたら、とても心強い。

けれど、「何でも話せる」が当たり前になって、
さらに強制的になってしまうこともある。
「何でも話せる」関係なんだから、何でも話してよ、
となってしまうこともある。
それって、ちょっと怖い。
いや、けっこうキツイ。

たとえ、どんなに仲が良いと感じている人であっても、
この話はしたくないとか、これは訊かれたくないとか、
そういうことって必ずある。
周りの皆はどうなのかわからないけれど、
少なくとも自分はそうだ。
すべてをさらけ出すなんて、絶対にしたくない。

そんな時、
何にも話さなくても一緒にいられる関係性が築けていると、
すごく居心地が良い。

話したくない話題を振ってこなかったり、
はっきり答えなくても追究してこなかったり、
「話さなくて良い」っていう安心感はなかなか得られるものではない。

何でも話せる関係ではなく、
何でも話さなくても楽しくいられる関係、が僕の理想なんだろう。
ありがたいことに、そういう人と仲良くさせてもらっているし、
少し逆説的な感じもするけど、
そんな人といると、何でも話せるような気がしてくる。

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