僕たちイキリシアン 003 日本刀は脂がつくと斬れなくなる?

日本刀には怪しい魅力がある。
名刀の魅力に取り憑かれた剣士が無辜の町人を何人も斬り殺した、という妖刀伝説が生まれるくらいだ。
そしてその魅力に惹かれるのは剣士だけではない。
そう、ネットに生息するイキリシアン達も……である。

とある人物が主張したことだ。
「日本刀は脂がつくと斬れなくなる」

その人物は過去に包丁で肉を切る仕事をしていたとかで、刃の脂を落とさなければ切れ味が鈍ると主張する。
それだけなら、別にいい。
だが、日本刀も同様だと主張し、武クラの居合道家がそれを否定しても「刃物のことがまるでわかっていない」「空気と巻藁を斬るだけが得意なのか」と煽り始めた。
私はTwitterで以下のツイートをした。

「私自身は動物の脂が付くような物を斬った事が無いので不明ですが、書籍『陸軍戸山流で検証する日本刀真剣斬り』で戸山流居合連盟会長の籏谷先生が実験しているのですよね。曰く「(豚の頭を何度も斬って脂だらけにした刀身でも)日本刀の機能には何の差し支えもない」と。」
「まぁ、私なら先生の証言を信じますね。」
https://twitter.com/ShiroOvi/status/1490237745310363654?s=20&t=k19nNFp93UULK6wy1X93NA)

余談だが、このツイートは件のイキリシアン宛にしたわけではなく、この人物に煽られた居合道家へ宛てたものだ。
だが予想よりこのツイートが拡散してイキリシアンの目にとまったらしい。
私に「そんな刃物が地球上に存在するなんてすごいですね~~~」と挑発してきた。
悪いが無視である。
こういう人に付き合うほどヒマではないので、せいぜい記事の肥やしになってもらおう。
だいたい、私は物を斬った刃が全く損耗しないなどとは主張していないので、話し合いにもならない。
それに別人である私が籏谷先生の主張(「(豚の頭を何度も斬って脂だらけにした刀身でも)日本刀の機能には何の差し支えもない」)を撤回できるわけがないので、私にどういう返事を求めているのかまったくわからないのである。

さて、居合道家の多くが指摘したのは、肉は包丁の刃を密着させてからスライスするのに対して、日本刀は刃を対象に叩き込むので条件が違うというものだ。
それに対してイキリシアンは「包丁でも叩き切る事はある」と反論する。
だが、剣士が使う大刀の物打ちの速度と、料理人のそれが同等なわけがない。
当然ながら、目的が違うからである。
運動エネルギーが大きければ、刃が鋭利でなくても物体を切断するものだ。
それが厳密な意味で「斬る」うちに入るかどうかは剣士にとってはどうでもいい。
要するに相手が死ねばいいからだ。
人間を料理する理由は無いのである。
例えばだが、イキリシアンは銃から発射されたのが丸い弾丸であれば当たっても平気なのだろうか?
もちろんそんなことはあるまい。
弾丸のエネルギーが大きすぎるため皮膚を破り、肉を裂き、骨を砕いてしまうのだ。

それと、日本刀は普段から植物性の油(椿油など)が塗布されている。
錆防止のためだ。
もちろん刃にも塗られているが、油を塗らない方が斬れるのだろうか?
「動物性の脂と植物の油は違う」と言いそうだが、件のイキリシアンが剣士に喧嘩を売る時は、是非体中に豚の背脂でも塗りたくって刃を防いでいただきたい。
(その必要はないかもしれないが)

さて、よく聞くこの説のルーツはどこにあるのか?
一番よく見かける説は、評論家の山本七平氏が戦時中に軍刀で死体を試し斬りした感想を、作家の司馬遼太郎氏が自身の作品中に書いたためだ、というものだ。
たしかに『燃えよ剣』(司馬遼太郎著)の主人公である土方歳三が複数人を相手に立ち回った際に、何度か人を斬った後に大刀が脂のせいで斬れなくなり、小刀にわざわざ持ち替えている場面がある。
前述の通り、脂が付いても斬れなくなるというわけはないのだが、仮に本当に斬れなくなったとしても、原型をとどめている大刀のリーチを捨ててまで小刀を持ち出すのは不可解だと指摘しておこう。
しかし戦前にもそういう記述の本があったという証言もあり、ハッキリしない。

また、江戸時代以前においては罪人の死体を用いて日本刀の試し斬りが何度も行われている。
『図説日本刀大全』からの孫引きとなるが、天保8年(西暦1837年)8月21日、伊賀四郎左衛門が新々刀(新々刀とは江戸時代後半期に作られた日本刀のこと。刀工は固山宗次、長さ二尺四寸五分)を使い、その日9回の試し斬りをした記録がある。
9回の試し斬りの内訳は、頭を正面から真っ二つに4回、同じく頭を輪切りにするのを4回、腰を横一文字に両断したのを1回、である。
さすがに試し斬りをした後日には研ぎ直しただろうが(というのも、同じ刀が同年12月21日にも試し斬りに使われている。この日は8回)、どちらにしろその日のうちに複数回死体を両断した記録が残っているので、遣い手の技量の問題やアクシデントさえ無ければ、9名を続けて斬り伏せるだけの性能が秘められているらしい。

その後イキリシアンは都合が悪くなってきたのか「刀が切れなくてもいいなら最初から鉄の棒を持てばいいではないか」とも言っていた。
それについては別の人が「いずれ鉄の棒になるとしても最初は斬れ味があった方がいいに決まっているだろ」とツッコミを入れていたので、これ以上私から言うことはない。
ちなみに『日本剣豪100人伝』によれば、針ヶ谷夕雲正成は刃引きの刀を差していたとある。
理由は「多人数を相手にする場合は刃こぼれを起こす鋭い刃では不覚をとることもあるが、鈍刀ならその心配がないから」だそうだ。
私にはその真偽がわからないが、参考までに記しておく。

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