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クリスマス、太宰治と


太宰治に会いに行こうと思った。

セーターとジーンズを着ようと思って、やめた。私が持ち得る限りの女らしいワンピースを引っ張り出して着た。もっと上等で私に似合うワンピースを買うべきだ。それに靴も。ローファーが欲しい。化粧をし、イヤリングと指輪を選び、香水をつけた。できる限りの女らしさをかき集めた。デートと同じ準備だ。

太宰治の墓参りに行くのは6年ぶり2度目である。緊張はしなかった。そこは私の心のよりどころではない。太宰治が確かにこの世に存在していたことを確かめるためだ。この世に生きて、死んでいったことを確かめることが、私にとってこんなに重要なのだ。

太宰治の墓の前で、最初に訪れたときよりもずっと静かな心持ちで立っていた。礼拝堂の席に座って祭壇を見上げているときと同じ静けさだった。墓地には誰もいなかった。屋外だというのに、教会の中のように静かだった。6年前もそうだった。でも、私は6年前とはまったく違う。そうしてなおここに立っていることを誇ってもよいような気がした。しばらく立っていた。今でも眼前に墓を見ることができるくらい、墓の隅々を観察した。太宰治を確かめるためには、もうそれしか方法がなかった。去り際にまた来ます、と会釈だけした。太宰治は確かにこの世に生きていた。それで本当に十分だった。

次に玉鹿石に向かった。玉川上水沿いに置かれている石で、太宰治の故郷で採取された石である。この石が置かれている付近で、太宰治は入水したという。当時と大きく異なって浅い小川になってしまったそこでは、もう死ぬことはできない。6年前、この有様を見た私ははっきりと打ちのめされた。ここだけは心のよりどころだったのだ。今見ても新鮮にショックだった。この先何があっても、玉川上水は私を沈めてくれない。それは私にあとがないことの確認だった。

帰宅したら『駈込み訴え』を読もうと決めていた。クリスマスだから。太宰治の文章は独り言と同じで、目で文字を追って意味を理解する工程が遅くてじれったくなる。血の流れと同じ速さで読みたい。特に『駈込み訴え』は太宰治が文章を口頭で伝え、人に書かせた作品だという。


私はこの年になっても、社会人になってもまだこんなことを言われなくてはならないのかと、しばしば絶望した1年だった。いいよ、あななたちがなんと言おうと、私には太宰治がいるから。





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