詩誌「光」雨粒あめ子
「Mは迷子」
麻酔の効いた部屋の中は
悲しい気持ちが輪っかになって笛を吹いている
私は意地でバナナの皮を剥き
丸い皿に入れる
感覚過敏は今日もまだ華やかで
窓辺から誰かが迷い込んできたような しかしそれは気のせいだと
判らなくて
鍵をかけた
私がこの部屋の
どこにいるのが一番安心するのか
解りたくて
椅子に正しく座ったまま
バナナを食べる
眠りを、くれよ
雑誌の切り抜き部分に残るのは
今でも真新しく感じられる
ランドセルを背負った幼い女の子
こちら側なんて見向きもしない
ジグザグという音
窓のカーテンを開けると外では
真冬が嘘をついて待っていた
「斜光」
もういっそのこと
眩ゆい光の中に入ってしまおうかと思う時
止まれと母が耳元でそっと囁く
こんなにも逝きたい季節に逝けないのはなぜ?
風呂の中でじっと
考え込んでいる
左腕に残る傷跡の上にさらに今まで幾度
新しい傷を乗せたかと
それで一体何が変わったと
「今ふと思い出したこと。
私が三歳の頃、母がいない間を狙って
ティッシュを食べた記憶
全然美味しくなかったけれど
口の中がふわふわしたんだった。」
友人がひとり去りまたひとり去り恋人にも愛想を尽かされ私はたった一人の孤独者かもしれない。野狐が遠くで鳴いている。好き放題、私のために皆も泣いていい。
テラコッタの地面を蹴って
眩ゆい光の中に入ってしまおうかと思ったけれど
そこで母の声は聴こえなかった
私はありがとうと言ったあとに
斜光を避けて
家に戻った
「明日を結う」
この侘しさを何に例えようか
迷い踠き立ち止まり
幾度となく流した涙をコンクリートに打ち付けた
部屋の電気を薄暗くして観る映画は
さほど面白くもなく
感想も特に言えない
何を間違ったんだろう
一体この先どこまで走っていくのか
佇んで上を見上げても 何も見えない
見えないものを想像して恐怖する
花が泣き
その命が終わりを告げる頃に
(\\黄色い線の内側にお入りください)
誰かに持ち上げられた肉体は夢を見ることができないし
いくつもの末梢神経が輝くのだから
いつまでも同じ場所にいたいのよ
うつくしい言葉が鳴るとき
わたしは一年草を踏む
ブレーキのない感情は走るのみ
どうせ誰かの代わりだ、それを知り尽くしたくないから
T街道のど真ん中に寝っ転がって
明日を結う
「白い光」
「まあ一息つけよ」と君が言う
あまりにも目の前が断崖絶壁に満ちていて
大きなドラゴンに勝てそうにないから
ボールペンを握って言葉を綴る
「深呼吸しなよ」という君の言葉を無視して
ノートに自分を生存させる
白い紙が私を増加させて
弱った命を細胞レベルでふくらます
君が毎朝コーヒーを淹れているその間
私はただただ浅い眠りに専念しているだけだ
昼間に目が覚めてすぐに
とっておきの詩が書けたとしたら
どんなに幸せなことだろう
君が言った通りにレム睡眠をすると
私は無事に素直な人に戻ることに成功した
弱音を吐くほどに弱くなる気もするけれど
君も、白い紙も、それをできるだけ受け止めてくれるのだった
「金平糖」
机上の隅から寄せ集めた金平糖を
微力で握りしめて佇んでいる
たやすいことだ
冷やして凍っていった冷凍庫の氷を強くかじりついて歯を傷めることは
老いてゆくことも、きっとおなじ
甘味料添加物と
目に見えないものは歓んで口に入れたい
スーパーの惣菜、ケーキ屋のガトーショコラ、炭酸ジュース缶チューハイ、煙草、水道水。
ナイトウォーキングの翌日にひいた風邪ねむたい
意思を無視して流れつづける愚かな鼻汁だるい
黒糖シナモンの痛みに効く喉飴よりも
色の選べる金平糖のほうがやさしさに酔える
(そのとき、脳裏に染み付いた
晩年の母のしわしわになった両手を揉んで)
握ったまま、いつまでも
佇んでいる
「黙想」
薄明かりの位置からペンを探していた
汗が沸騰するまでのあいだ 夏が再来しそうだ
とびきりの憂が痰を絡ませ体を包むから
崖から二度と落ちないよう鳴こう わ…
だって誰しもが虚しくなる季節に
なかないなんて非日常だよ
不適切な言葉に委ねられながら
受動道路の先を目論んで曲げる指
この場所を覚えて一度だけ叫べばいい
屈辱して轟いたあとに溜息の先を
湿らせる
君のいない隙間の夜粒は
ぽつりぽつりと逆走するムクドリは
当然のように胸を膨らませている
雨粒あめ子
神奈川県在住。熱帯魚とハムスターと写真が好きな詩を書く人。
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