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詩誌「光」木村 孝夫

「原発復興」

復興という文字を
指で、ときには掌でなぞってみる
ささくれのような傷が残っているから
ときどき大きく深呼吸する
その文字から手を離すと
指や掌には笑顔が転写されて来ない
復興とは緊張の塊だが
小さく微笑む時があってもいい
それが少しずつ増えれば
この大地と和解できるかも知れない
原発事故から八年目に入ると
帰還困難区域を除く
困難区域が次々と解除されて来たが
安全宣言は出されていない

特例法により
帰還困難区域の一部も
人が住む区域に変わろうとしている
避難者は、「避難から帰還へ」と
背中を押されているが
和解していない大地が飛び地のようにある
空間放射線量は、除染や自然減衰で
人が住めるまでに下がったというものの
町村の区域の中は一律ではない
常時携帯している線量計を庭に置けば
アラームが鳴ったりする
古里への帰還の判断は
東京オリンピックと競ってはならない
まだ重いくびきが残されている
その裏に取り残されているものを
しっかりと見極める必要がある

原発復興という文字を
指で、ときには掌でなぞってみる
指や掌に、そして五感にも
多くの笑顔が転写されるようにと
祈りを置く
九年目に入った


「バリケード」

バリケードが動き始めた
一部の帰還困難区域の除染が終わったという
知らせのようなものだ

避難者にとってバリケードは鬼門なのだ
見ただけで
帰還する気持ちが萎えるという
そのバリケードが
少し後退し始めた

そのエリアは小さいが
戻りたいと言う人には希望のエリアなのだろう
空間放射線量は
そのエリアだけ下がっている

東京オリンピックの聖火が六号線を通る
だから邪魔になるものは
視野の中に入らないようにと下げる

除染廃棄物なども
その外へと姿を消したが
森の深くで、口元を抑えている

バリケードが動き始めた
復興・再生はこれを取り除くことだが
取り除けないものがあるので
上手に隠す

二〇一九年に入ると手際の良さが目に付く
マスコミも
復興・再生を後押しするから
バリケードのない町が演出される

何事もなかったということではない
あった何事の大きさに八年も過ぎて来たのだ
それでもまだ時間が足りない

古里の大地は寡黙なままだ
バリケードが少し離れた場所へと動くのを
じっと見ている
動いた後の余白が寒々と感じられる


「傾 聴」   

この記憶を消して欲しいと
その人は言うのだ
一人の夜は寂しく、不安でたまらない

頷きながら
ただ 黙って聴く

七年という月日は
原発避難者にとっては苦悩の月日だ

いっとき賠償金の問題で
もめにもめた
避難先の住民とのあつれきもあった
心ない一部の人なのだが

   *

少し離れた場所に
小さな一軒家を購入した
ここでは、隣近所との付き合いも絶って
テレビの中で一日を過ごした

まだ怒りや悔しさがいっぱいあるのだが
後は 少しずつその思いを
手放していけばいい

記憶の芯に付着したものが悪戯する
その一つが夜の寂しさと不安だ
眠れない夜を、一人で折りたたんではきたが
老いが深まるばかりだ

記憶の芯を取り換えて欲しいと思うのだ
誰にもわかないように そっと
できるなら記憶も消して欲しい

 *

話すだけ話をして 一巡すると
また ここに戻ってくる

二人の間には
アドバイスを置く余白は全くない
本人には非はないし
切実さには隙がない

頷き、ただ聴くだけだ


「原発大地」

この大地は 原発震災前は
表面を少し削ってもすぐ元に戻った

今は、重機の爪で何度も何度も削るから
年々復元力が弱まってしまった

傷だらけの大地には
放射能が
その割れ目に隠れるように付着している

付着した放射能は
ホットスポットと呼ばれている場所で
住民の
風当たりの強さに耐えている

  *

今日も削る
表面を一枚削っても駄目ならばもう一枚削る

もう一枚削っても駄目ならば
もう一枚と
大地は薄くなるばかりだ

このまま削り取っていくと
地球の裏側にまでたどり着いてしまう

削っても、削っても
下がる放射線量は僅かだから
その僅かな下がりを
原発被災者はどう捉えるかなのだろう

もう、選択肢が二者択一しかない
古里に帰るのか
帰らないのか
重い選択だけが残ってしまった

  *

帰還困難区域を持つ町村は
帰還する人は少なく、削った大地には
たくさんの疲労が横たわっている

八年間も人が住んでいない
住んではならない大地
家屋も荒れ果てて
春から秋には雑草は天上へと伸び続ける
雑草の根に押し上げられて
ところどころの大地が浮いている

その一部に重機が何度入っても
人が住めないエリアと
人が住めるエリアの線引きは難しい

ここを希望で
押し固めるまでの時間の長さ
そこに街づくりの手は伸びようとしているが
困惑するものが立ちふさがる

あと何年かかるのだろうか
そう問う声もあるが
誰にも分からないから苛立つものは大きい

この原発大地は、時間の刻む音に
いつも追いかけられている

  *

今日も削る
表面を一枚削っても駄目ならばもう一枚削る

もう一枚削っても駄目ならば
もう一枚と
希望で大地を押し固めるまで続いて行く

この古里の名前を
地図上から消してはならない
原発大地があったとしても小さくすればいい
放射線量を下げればいい

この原発大地の上では
希望とは諦めないことなのだ


「北の大地」

疲れているのだ
北の大地は

地図上にもない
帰還困難区域という名前をつけられ
住民の姿はない

大地だって
話し相手が欲しい

それが鳥であれ、風であれ
木々であれ、水であれ、雲であれ

点滅している信号機であれ

疲れている
北の大地は

ときどき
これらの話し相手から
神様の話を聴くときがある

そんな時 神様の手を
握ってみたいとも思う

この疲れが少しでも癒されるなら

大地だって目を閉じれば
聖書の上を
読み歩くことができる

北のボロボロの大地には
帰る人を待つという
使命がある

春になると草木は伸びて
冬になると枯れる
それが十年いや何十年と
繰り返されるとしても

八年目に入って
この大地の一部にも
除染の手が入り始めた
人の住めるエリアを広げる為に

何かが
変わるかも知れない
それが大きくなくてもいい
復興とは
小さな積み重ねだから

ときどき
神様が 癒しの手で
大地の涙を拭っているのを
私たちは知らない

疲れているのだ
北の大地は

この大地に希望があるとすれば
いつかは帰れるという
言葉にだせない寡黙な希望だ

横たわるもの全てが
いっとき危機感で緊張していたが
それも七年という月日に
均されてきた

住民が帰れる古里なのか
住民が帰れない古里なのか

疲れている
北の大地は
帰る人を両の手で抱きしめる
その時を待ち続けている


木村孝夫

東日本大震災と原発事故から10年目に入った。震災詩を書き始めたのは、9年前。試行錯誤しながら書き続けてきた。

 これらの詩も、そのときどきの作品である。

ポケット詩集として、しろねこ社さんから二冊「私は考える人でありたい」、「六号線+&の世界」を発刊した。

 津波被害も忘れてはならない。これらをどのように書いて伝えていくのか。難しい言葉は必要ない。10年目に入った。

これからも書き続けて行く事だろう。復興という言葉はまだ軽い、どしりと帰還者の心底に居座るまでにはまだまだ時間が必要なのだ。



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