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変わりゆく前提


「あなたそれアタシらが生きてる時の話かい!?」



先日、やや年上のご婦人と会話を楽しんでいる最中、まるでお笑い芸人のような鋭いツッコミを受け、僕は驚いた。


その時ハタと気がつきました。


そういえば以前までは誰かと"今後"の話をしている時、自分らが生きているであろう期間(日本人の平均寿命-今の年齢)を前提に話をしていたような気がする。

もちろん今日死ぬかも知れないし、100年後にまだ生きているかも知れない。
その間を生きるということが難しいわけで。

それをいつからか、僕は平気で50年後や100年後の社会をイメージしながら話していた。
だもんだから、たまにキョトンとした顔になる人もいるわけだ。


ぼくの嫌いな"定型文"のひとつに「どうせそのころ俺(私)はこの世にいないしね」というものがある。

いつのまにか前提が変わっていたんだな・・

きっと四十を境に、色々と前提が変わったように思う。

視点を変えると「僕たち」が染み込んできたように思う。

「僕たち」の中にはこれから生まれてくる人たちも含まれている、またその次に生まれる人たちも。


だから「今後」や「将来」といった言葉に対する意味合いも変わっていた。

というわけ僕は自分の死を通過点として、しばらく据えておきたい。

その方がいくらかは恐怖も和らぐのだろう。



アナタの「今後」は、どのくらい先までですか?


そして「僕たち」の線引きは、どこですか?



なんだか今日という一日が
穏やかに訪れているハルヤギです

ありがとうございました。



#エッセイ #前提 #今後 #僕たち #私たち #一日 #つながり

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