「私はこの人の子供じゃない孤児です」と父親に言わされた話
『お父さん、今日はありがとうございました』
ショートメールを送った。
私がそのひとを人生で初めて「お父さん」と呼んだ瞬間だった。
数十分ほどして電話がかかってきた。
「独身だと言ってあるのに、キミがお父さんなんて書くから疑われちゃってさぁ。
今からその人から電話くるから、ボクにお金の支援してもらってる孤児って答えて?」
何を言っているんだこいつは、と思った。
けれど私は感情の死んだ子供。
断ったり、ホワイ?を問う気力もわかなかった。
「はぁ、わかりました」と答え、実際にそうした。
そんな思い出のおはなし。
私には…
とんでもねぇ親エピソードが……
いくらでもある!
■ ■ ■
それは私がまだ20歳いくかいかないかくらいの、学生だったころ。
ヤバ母が自殺未遂し、精神科のベッドへ「保護」されたものの、四肢を縛られた姿を気の毒に思った義父が独断で即日退院させてしまったため、家の中はこの上ないほどの沈黙の地獄と化した。
逃げるように一人暮らしを始めた私を義父は止めなかった。それは私にとって救いだったが、義父にとっては自己犠牲の始まりだった(元々自己犠牲の人だったが)
そして義父は数年と経たずに心労で死んだ。
遺された母と私。
私は一人暮らしもしつつ、毎週実家に戻るようになった。
実家に戻ると、そこそこの頻度で会う男がいた。
それが血縁上の父親である。
(父親だと思っていないのでイマドキに⚒と表記する)
小学生のとき、
誕生日にセーラームーン(アニメ)のビデオが全巻分ダンボールに入っていた。
クリスマスにはプレステが玄関に現れた。
誕生日には、ホールケーキが冷蔵庫にあった。
正月のお年玉として、10万円がテーブルに置かれていた。
母親の「オトウサンカラダヨ」。
(母は義父のことを最後まで苗字で呼び捨てにし、お父さんと呼ぶことはなかった)
軽く挨拶だけならしたことがある、金品だけを置いていくオジサン。
それが実の⚒というのはいつからか察していたが、私にとっての父親は義父だったため、そいつは馴れ馴れしく家に上がり込む他人だった。
私にとっては羽振りが良いだけのオジサンでも、母にとっては違った。
義父が死に、たまに帰る娘は冷たく、実家でひとり孤立した母親が拠り所にしたのは、宗教友達、そして⚒だった。
(母親に寄り添わない私が親不孝者なのは認めるが、親を支えるかどうか子にも選択する権利はある)
⚒は母の話し相手になるためにちょくちょく家へ来ているようだった。
何を話しているのか知らないし、そもそもふたりの関係性もよくわからない。仲が良いのか、悪いのか。私という庶子が生まれ、弱みを握った女と握られた男でしかないように見える。けれどまあ、なんらかの情がそこにあるのだろうとは思う。
母の様子を見にいくようになって、必然的に⚒と関わるようになった。
「就活はどうだ? 就職したい会社があれば言いなさいよ」
地元の会社名を適当に挙げたら濁された。
できないことを言うな。
「困ったことがあればなんでも連絡して」
LINEの使い方はわからないからと、電話番号を交換した。
何が起きても絶対に世話になんかならねえと思った。
でも、母にこいつは必要だから(私が母になにもしてやれないぶん)愛想笑いくらいはした。
本当の家庭があるくせに、嘘ついて妾を作って孕ませて、そのくせ悪いことなんざしてませんって顔で陽の当たる道をのうのうと歩く男が、どのツラ下げて来てんだテメー…などと斜に構えてはいたが、足繁く通う姿を見て「悪い人ではないのかもしれん」とも思った。
それが愚かだった。
とある休日、実家に行くと⚒がいて、私が来たのを見てニコニコしながら話しかけてきた。
調子はどうだ、俺の仕事がどうのこうの。私が話そうとすると被せてきてぜんぜん喋らせてくれねえ。自分がいかにすごい仕事をしているかのプレゼン。
後に私はホステスのバイトをするのだが、このときの経験は大いに役立ったというか、そのままの運用だった。
ともあれ、このときの私は、⚒のことを憎からず思い始めていたのだ。
古い価値観で生きている人だが、敵ではないのだ……と。
「困ったことがあればなんでも連絡して」
いつも言われるセリフに、意味を見出しつつあった。
そして、⚒に実家を任せて帰ったあと、きまぐれにショートメールを送った。
『お父さん、今日はありがとうございました』
尊敬する父親は育ての義父だけれど、このひとともこれからは父娘としてやっていけるのかも……
そんな思いが胸に灯りはじめていた。
そして夕方、私のスマホが鳴った。電話だ。
ディスプレイに表示される⚒のフルネーム。
出た。
「ちょっとさあ、ボクいまお付き合いしてる人がいるんだけど」
既婚者なのに!? いきなりなに!?
「独身だと言ってあるのに、キミがお父さんなんて書くから(画面見られて)疑われちゃってさぁ。
これ誰!?本当は結婚してるの!?って。
違うよって言っても信じてくれないんだ。
今からその人から電話くるから、ボクにお金の支援してもらってる孤児って答えて?」
え?????????
ア、ハイ。
「……すみません、○○(⚒の苗字)さん」
「ちょっと気をつけてね💦」
私の中に灯った火は一瞬で消えた。
そこにあるのは虚無だった。
でも考えてみたら、妾の子が実父を「お父さん」と呼ぶことがおかしいのかもしれない。なるほどね!世間知らずで申し訳なかったね!
電話のやりとりが終わってしばらくすると、本当に知らない番号から電話がかかってきた。
まじかぁ、て思った。
私の何かが失われる気がしたが、なんかもうどうでも良くなって、スマホを手に取って電話に出た。
相手「……もしもし?」
おー、上品そうなオバサンの声だ。
相手「あなた、○○さんの何なの?」
私も教えてほしいな、それ。
私「○○さんは、お世話になっている方です。私に金銭支援をしてくださって、学校とかいかせてもらいました」
嘘はついてない。
相手「そうなの……。○○さんの子供じゃないのね?あのひと結婚してるの?」
私「私は○○さんの子供じゃありません。結婚してるとかは聞いてません………」
演劇、観るのは好きだけどしたことはなかった。
私、才能あるよ。
相手「そうなの………あなたも大変ね」
そうですね。
相手「あなたいくつ?」
私「○○歳です」
相手「あら。私にもあなたくらいの歳の息子がいてね、留学してるんだけどもうすぐ日本に帰ってくるのよ」
オッ!? 流れるような息子自慢!! それいる!?
私「自慢の息子さんなんですね」
相手「そうなのよ〜! あなたもがんばりなさいね」
スムーズなマウントうまいね!
このときの私は、逆に感心していた。
この世の奇天烈さに。
適当に相槌を打ち続けて電話を切った。
10分くらいだと思うが、濃い時間だった。
一生ネタにするから録音しておけばよかった。
その後、女からも⚒からも連絡はなかった。
うまくいっていれば私も演技をした甲斐があるが……。
そんなかんじの、夜だった。
あれ以降、できるかぎり会うことを避けた。
ガチ家出をキメてすべてと完全に縁を切った後は、会っていない。
⚒エピソードではこれが一番イカレていると思う。
しつこいくらいに笑い話にしないと、成仏できそうにない。
今も根に持っている。
⚒もやばいが、電話してきた女もなかなかの衝撃があった。
ウケるね。