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「置き手紙」が嫌いな理由

今朝起きてリビングに行くと母からの置き手紙があった。

「最近お風呂の排水口の髪の毛を取り忘れていることが多い。
 自分の髪は自分で!!」

とのこと。
わかってます。わかっていますよ。
わかっているけれど、髪の毛を取るタイミングで他のことが気になるとつい忘れてしまうことがあるんです。

人の髪の毛というのはなんとも気持ちが悪いもの。
それを片付けさせてしまったことは申し訳ないと思う。
だけどさ、起き抜けでこんな書き置きを見せられたら『申し訳ない』より『言いたいことだけ言って一人で満足するな』と腹が立ってしまうのが私なんですよ。

前提として、私と母はあまりいい関係ではない。
ずぼら、というよりだらしがない母。
大抵のことは仕方がないと思って我慢をし黙って片付けたりもするけれど、情けない気持ちになるほどだらしがない状況を目の当たりにし続けたタイミングで口うるさく言ってしまうことがある。
それが、母は気に入らない。
うるさい!と大変不機嫌になる。

そんなことを繰り返しているものだから、たまに私がやり忘れたことがあると、まるで鬼の首を取ったように指摘してくるのだ。
なんなら幼い頃の話まで持ち出して責め立てたりもする。

こちらからしてみれば「自分が忘れてしまって迷惑を掛けたことの100倍くらい、あなたの後始末をして歩いているんだぞ!」という気持ちがあるだけに、そんなときの私の腹立ちはかなりのものになる。
髪の毛だって、洗面所に落ちた髪の毛を母は片付けないけれど「年寄だからきっと見えないんだ」と自分に言い聞かせて毎日洗面所に立つたびにいそいそと片付けたりしている(ちなみに実際100倍も後始末はしておらず、生活面で楽をさせて貰っていることがあるのは自覚しているけれど今は置いておく)。

そんな中で置かれていた今朝の手紙。
手紙、というより殴り書きのメモ。
長雨が続いたあとの久々の晴天の朝にはなんとも似合わない感情が一瞬で湧き上がったわけで。

何が腹立つってね、書いたときの母の様子が手に取るようにわかることですよ。
自分だけが100%正しい、自分にはなんの非もない、という自信のもとで書いたわけですよ。あのメモを。
ぐぅの音も出ないだろう!文句など言わせない!私が正義!という勝ち誇った顔が目に浮かぶ。
だってそうでしょう?
置き手紙、ですよ。
読んだ相手に反論の余地を与えない。
感想すら求めない。
言いたいことだけを言って、自分が満足する手段。
それが置き手紙。

さらに腹が立つのが、普段なら散らかしっぱなしのリビングのテーブルやキッチンをここぞとばかりに片付けてから手紙をしたためるところね。
何一つ文句は言わせない、という意志をこれでもかと言う程に感じる。
置き手紙は実は初めてではないんだけど毎回こうよ。
意地張ったときだけ片付けないで毎日きれいにしておけよ、ですよ。

…と後半はもう完全に母に対する恨み言だけになりましたけどね。
そもそも置き手紙って手段としては卑怯よね、というお話でした。

お互いに負の感情ばっかり抱いているくせになんで一緒に暮らしてるの?と思う人もいると思う。
私も思っている。
なんていうかね、一言で表すと「腐っても母」なんだよね。
まあ、そのあたりはまた追々。

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