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who am i ?

長野のとある田舎町で、英語教室を開いている家があった。
次女は生徒の一人として教師である母から英語を学ぶが、とある日ヤキモチを焼いた。
それはとても焦げる程に。

「他の子より私を構って欲しい。」

もちろんそんな願いはむなしく、次女は「(もっと子ども心を理解すべきだ!私は絶対童心を忘れないぞ!)」と誓った。
そしてその10年後、保育士となる。

──次女は幼少期から注目されたい、…というよりも「目をかけざるを得ない」存在だった。

1歳で百日咳とはしかを一度に患い、
同1歳、2歳で各腕骨折。
おまけに重度のアレルギー。
高い所から飛ぶのが好きで、思い立ったら即行動。しょっちゅう怪我をして帰り、怪我を見て同情されるのを喜んでいた。親の気苦労が知れる。

おまけに次女は不規則に発症する夜の精神的疾患「夢遊病」「下肢静止不能症候群」「不思議のアリス症候群」も患っていた。
あまりにも酷いので脳外科で検査をしてもらう程。
特に脚の内側がムズムズする「下肢静止不能症候群」を発症すると、叩いたり周囲を蹴りまくって暴れ回る。これが長い時は20分続くのだ。

叩いたり、冷やしたり、温めたり。
脚がへろへろになるまで酷使したりと色々試したが、特効薬はなく、症状は大学四年まで続いた。

─そんな次女を母は見捨てなかった。
学童期でも暴れる脚を撫でてくれたり、悪い夢を見ないようにと優しく胸をトントンしてくれた。

これが一番症状が和らいだし、(おそらく)怖い夢も見なかった。この時間違いなく私はオキシトシンが出ていたのだ。

スキンシップによるオキシトシンの効果はいくつもある。親子の愛着形成、うつを予防する幸せホルモンであるセロトニンの分泌が、多分に私を救った。いつ自殺してもおかしくない精神状態でも、ひたすら抗い続け、病と戦い続けることができたのは、母のお陰だと思う。母への愛情は常に深く感じるし、感謝している。

これは私に限ったことではない。
子どもは辛い時、寂しい時、痛い時や苦しい時、親からの愛情に救われるのだ。

親に愛されてるからダメな自分も愛せるし、なんだってできる気持ちになる。
そして大人になってからも困難な壁を乗り越えられるようになる。

私は全ての子ども達がそうであって欲しい。
親や親に替わる誰かに愛され、光り輝く未来へ進んで欲しい。

その為に保育士として子育てをサポートしたい。
余裕のない親がいれば、愛情の注ぎ方を伝え、
必要であればサポートに入り、保護者と同じくらいの愛情を子に注ぐ。

これが私が「親子の愛情構築専門家」として活動しようと思ったきっかけです。


あなたが思う人生を豊かにする条件はなんですか?

私は
・自分の時間の確保
・ゆとりのある育児
だと思っています。

ブログを通して、あなたの人生が豊かになるように、私はイチ保育士として綴ります。

公式ブログ▶︎▶︎https://nemunemuru.net/

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