川口アンドウトーイの思い出

90年代に少年期を過ごし、大宮で育った俺にとって、川口という街は「イベントの街」であり、少し離れた距離感も相まって、昔から今に至るまで不思議とワクワク感が募る街である。

川口にはかつてアンドウトーイという、ビル全体のフロアがおもちゃ屋という夢のようなおもちゃ屋があった。そういうおもちゃ屋は今ではかなり貴重である。上野のヤマシロヤとか原宿のキディランドとか銀座の博品館ぐらいしか思いつかない。

アンドウトーイはスピナー(ハイパーヨーヨーをする人の総称)にとって聖地的な存在で、なぜかというとこの店は「認定店」だったというのが大きな理由だ。他の聖地的な店といえば、御殿場ピノキオとかお台場チェロキーが思い出される。

認定店というのはバンダイが認定した店という意味で、その店の店員が認定員となり、その人の前で指定されたトリック(技)を成功させると、各レベルに応じて景品がもらえるというシステム。いわゆる技能検定だ。今思うとそういう販売プロモーションだったんだろう。

で、その技能レベルの頂点、THPJ(Team High Performance Japan)レベルに合格すると晴れてプロスピナーを名乗れるわけだが、そんなプロ集団の中でもひときわ存在感を放っていた「永瀬巧」君という少年がいた。彼は後にヨーヨー世界大会で優勝するのだが、そんな彼もアンドウトーイに出入りしていたという事実が、なおさらアンドウトーイを聖地化させていたように思える。

今、彼はどうしているんだろう?風の噂ではその後ネトゲにハマったとどこかで聞いたが。俺らの世代の梅原大吾的な存在だったよ彼は。

余談ではあるが、ナイナイの岡村もぐるナイのロケでアンドウトーイに来ていた記憶がある。忌野清志郎もヨーヨーをやってて中村名人をライブのゲストに呼んだことがあったり、あと中村名人は草彅剛主演のドラマ「先生知らないの?」にもチョイ役で出てた。

まぁ、そんな時代。

しかし熱狂的なヨーヨーブームも長くは続かず(体感で言うと97〜99年くらい)、バンダイは次なるアクティブトイとしてジターリングだの中国ゴマだの縄跳びだのを仕掛けていくがどれも不発に終わる。

あらゆるスピナーは完全に死滅したかと思われたが・・・極少数の修羅達はその後もヨーヨーを練習し続け、日本人がヨーヨー世界大会のタイトルを総なめする黄金時代を築き上げていくことになるのはまた別のお話。

アンドウトーイに話を戻すと、どうやら2000年代以降になると経営が悪化したのか、ビルの1階で携帯売ってるのを京浜東北線で通りかかったときに見た記憶がある。おもちゃ屋なのに。でもあれは今思うとあの時点ですでに1階は別のテナントに貸してた可能性もある。ちなみにアンドウトーイは今はないが建物自体はアンドウビルとして残っている。

とまぁこういったWikipediaにも載っていないような90年代の詳細な思い出をネットに書くことは、平成の記録を後世に伝えるという文化的・歴史的価値があると思っているので、今後もネタがあれば書くかもしれない。

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