見出し画像

【短編小説】月の耳 #シロクマ文芸部



「月の耳???」
「月の耳ってなんだ?」

六畳一間の質素な畳部屋の真ん中で、小さなちゃぶ台に突っ伏すようにして死んでいた祖母キヨコの手元には、黒々と主張の強い謎の走り書きが残されていた。

くたびれたスーツに身を包んだ兄・健太郎が、真剣な面持ちで弟・健次郎を見据える。
「間違いない。これはダイイングメッセージだ。最後の力を振り絞って手がかりを残そうとしたんだよ。オレらに犯人を伝えようとして」
「犯人ってーーーばあちゃん、殺されたのか!?」
「でなきゃ、ちゃぶ台にマジックで字なんか書くもんか」
「ーーーそ、そうだな。ウン、そうかも・・・・」
兄の言葉に呆然と頷く健次郎。こちらはラフなTシャツに短パン姿である。

食品会社営業マンの健太郎と、弁当屋勤めの健次郎とが連れ立ってこの部屋を訪れたのは、ほんのついさっきのこと。
ピンポンを鳴らしても応答がなく、留守なら弁当だけ置いて帰ろうかと合鍵を使って部屋に入ってみればキヨコはちゃんと中にいた。二人に背を向けてちゃぶ台にうつ伏せ、正座したまま眠りこけていたのである。

「なーんだ、いたのか。弁当持ってきたよ。おーい、ばあちゃ‥‥‥‥ん?」
キヨコの顔を覗き込んだ健次郎が中高年に大人気の『日替わり減塩弁当』をドサリと取り落とす。

「マジか、嘘だろ‥‥ばあちゃーーーーんんん!!!」

兄弟はすぐさま警察を呼んだ。
独居老人が在宅のまま亡くなっていたのだ。こういう場合、事件性があろうがなかろうがとりあえず警察を呼ぶのが基本である。
だが、二人はハッキリと『事件』を疑っていた。だってダイイングメッセージが残されているのだ。殺人事件で間違いない。

現場検証の結果、ダイイングメッセージのほかに書きかけの遺書もみつかった。白い便箋に書かれた遺言状は、
『健太郎、健次郎へ。あんたたちに書き残しておかねばならないことがあります。実は、おばあちゃんはね』と、ここまで。
書いている途中で苦しくなったのだろう。最後の『ね』の字は歪にゆがみ、筆が滑っている。そしてなぜかキヨコは遺書を書いていたボールペンを放り捨て、わざわざ極太のマッキーに持ち替えて、ちゃぶ台に『月のミミ』とメッセージを残してから息絶えた。

「絶対に犯人を捕まえてくださいッッ!!」
「お願いします、どうか一日も早くばあちゃんを殺した犯人をッッ!!」
「わかりました。最善を尽くします」

ーーーところが。

二人の願いもむなしく、キヨコの死は100パー病死で事件性はゼロという結論に落ち着いた。
「どうかいいお葬式を挙げてあげてください」
綺麗な所作でキヨコの棺桶に手を合わせ、刑事さんはそう言い残して帰っていった。

「ウソだ、そんなハズない。やっぱりこれは殺人事件だ!!」
「兄ちゃん、オレらで謎を解こう。『月のミミ』が事件を解く鍵だ!!」

そんな時である。
息まく兄弟にストップをかけるように『ぴーんぽーん』とインターホンが鳴り響き、狭っ苦しい玄関に黒いパンツスーツのバリキャリ美女が現れた。
お悔やみの挨拶とともに手渡された名刺には『月野法律事務所弁護士 月野美海つきのみみ』とある。

「「つっっーーー月のミミ‥‥‥‥!!」


実は兄弟には家族がいない。
健次郎が就職した年、二人の両親は車の事故でこの世を去った。親戚づきあいを一切しない家だったので、兄弟は二人きりの家族となった。
そんな時、両親と入れ替わるように現れたのが母方の祖母キヨコであったのだ。いきなりふらりとやってきて、近所のボロアパートで暮らし始めた実のおばあちゃん。明るくて気さくでパワフルなキヨコを、二人はすぐに好きになった。

普通のばあさんだとばかり思っていたのに月野弁護士によればキヨコは結構な資産家であったらしい。

「おふたりに1億円ずつ残されてます」
「「いっーーー1億ッッ!???」」

東京のラーメン激戦区で人気ラーメン店を営んでいたというヤリ手のキヨコは、可愛い孫たちを驚かせようとお茶目?な計画を立てていた。
ある日、メリーポピンズのように華麗に現れたばあさんが(キヨコのイメージ)、足長おじさんのような頼もしさで(キヨコのイメージ)、びっくりするような大金を孫に残してカッコよくこの世を去るのだ。
「一世一代のサプライズよ、ってキヨコさんが‥‥」
キヨコの顧問弁護士月野美海が目頭を押さえる。

『月のミミ』

あれは字画の多い漢字を書ききる余力のなかったキヨコの精一杯の頑張りだったのだ。

月野の名刺を眺めながら、健太郎・健次郎は顔を見合わせて頷きあった。
ホントだ。とてつもないサプライズだ。
腰が抜けるほど驚いたよ、ばあちゃんーーー

「それから、もうひとつ」

ちーんと鼻をかみ、居住まいを正した月野がバッグの中からA4サイズの白い封筒を取り出した。「しかしながら、本当に価値ある財産は案外こちらのモノかもしれません」と。

代表して封筒を受け取った健太郎が恐る恐る封を開けてみると、中から出てきたのは1冊のボロボロのノートであった。
おや。心なしか、フッと豚骨の香りがーーー


「こっ、これは!!」



それからしばらくして、月野法律事務所に丁寧なお礼状が届いた。

『追伸 3年後にラーメン屋を開くつもりです。ぜひ食べに来てください』

キヨコが可愛がっていた優しくて心根の真っ直ぐな孫ふたりは、都内の某有名ラーメン店に弟子入りを果たした。まずは他店で基本を学ぶ。キヨコのレシピが活きるのはその後だ。

「キヨコさん、またあなたのラーメンが食べられるわよ」

うふふと微笑みながら、月野は彼らのお礼状を丁寧にファイルして、キャビネットの扉をパタンと閉めた。


おしまい


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?