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日記を書いてみたら、もっと人に触れたくなった *1(11月27日~12月4日)


1週間分の日記読み返して書くnote。
全体の総括をしてみたり、好きなトピックをひろって話を広げてみたり、1週間分の日記を読んだ感想を書いてみたり。
毎日の振り返りを、さらに振り返ってみる、週末日記です。


日記を書きはじめてはや2週間。いろいろなことがあったし、毎日の浮き沈みも激しかった。それでも、自分が前に進んでいる感触がある。

3日坊主のわたしが日記を続けられているのは、純粋に書くのがすきで、本当はこうした時間を持つことを望んでいた、というのもあるし、読んでリアクションをくれる人がいるから、でもある。

不思議なことに、毎日あたたかい感想をもらっていたら、すこし怖いなと思っていたことが、怖くなくなっていた。今週はそんな話。

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今のインターネット世界は、あまりにもリアクションをすることが簡単だ。いいね、スキ、絵文字、スタンプ。それはきっとコミュニケーションを円滑に、加速させるものでありながら、一方で深めるということを遠ざけているもののようにも思う。

「いいよ」という返事を例にとると、了解とか、OKとか、言い方はいくらだってあるけれど、スタンプが存在している今、もはやたったの2文字ですら打つことをしていない。

なにかに感想をいうときだって、丁寧にコメントを紡ぐことを、♡のひとつで済ませられるようになった。

以前はよくても悪くても、どんなコメントをもらえるかが、人からのリアクションを受けるということであったはずなのに、だんだんと♡の数やどのくらい見られたかで、人のリアクションを考えてしまうようになっていた。

もらったいいねの数を数えるような、そういう、イエスかノーのようなリアクションばかりを受け取っていたのだと思う、しばらく。


でも、日記の感想は、もちろん♡とかではない。日々丁寧な言葉をもらっている。そういう「言葉」をもらうことが、すごくうれしくて、楽しいことだと知った。新しい考え方や見方をもらうことって、こういうことか、と思っている。

♡ばかり数えていたわたしは、はじめは、「言葉」をもらうことを、怖いもののようにも思っていた。なぜだろう。いつか急に、自分にとってよくないことを言われることもあるかもしれないとでも思っていたのだろうか。

だけど、今は、人からもらう言葉にとても安心感を抱いているし、それがよくないことでもいいと思うのだ。これがとても不思議な感触。

できればずっと、嫌なことは目にしたくなかったし、悪口ならわたしのいないところで言ってよ、と思っていた。もちろん悪口を面と向かっていわれるのはしんどいけれど、そういうネガティブな言葉も、聞いてみたいと思えるようになったのだ。

どんな人でも、どんな一面でも、どんな言葉でもいいから、その人の声を聞きたいと思うようになったのかもしれない。

今はもっと、人の言葉にも、心にも、触れていきたい。他人という、自分がコントロールできないものの影響を、まっすぐに受けてみたくなった。それで自分が傷つくことがあったとしても、その傷さえも受け止めたい。

だれかと深くつながって、関わっていくという覚悟が、少しずつ芽生えてきたのかもしれない。

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