ただの消費をインプットに変える。
最近遊んでばっかりで、noteも書いてない…サボりまくっている。
だめだだめだ!と自分に喝を入れても、ネタ〜ネタ〜ネタネタ〜。ネタが…。
遊んでいるからいろんなところに出かけて、いろんな刺激を受けるはずなのだけれど、ぽわ〜んとして終わる。
ぽわ〜ん。
でも、ぽわ〜んからは何も生まれない。なんでこんな当たり前なこと言ってるんだ。
ぽわ〜んとかバカっぽいこと言い始めたから?
気を取り直して。
じゃあ、単刀直入に、どうしたら遊びは消費じゃなくて、インプットやネタになるのか。
私は謎解きが好きで、暇さえあれば、いやなくても、謎解きに行っている。10月は6回。我ながら行き過ぎだし、ちょっと引いてる。
謎解きには謎だけでなく、ストーリーもあり、デザイン、動画、音楽、スタッフワーク。見ようと思って見ればいくらでも学びになる。
それでも楽しかった!面白かった!で終わってしまうのはなぜか。
たぶんすごく簡単に言えば、考えてないからだ。
感じただけだから。
こっち側にいるから。
きっと何もかもをネタにする人、何もかもをインプットに変える人は、あっち側に立ってる。
こっち側とあっち側。
受け手と送り手。
いつだって、送り手の側に立つ。
それがいろんなことをインプットに変えるヒントではないだろうか。
送り手の側に立つとはつまり、自分でも作ることだ。
でもそれは難しい。
世に出て行くようなクリエイティブを素人がすぐに真似できるわけではない。
でも、どうやって作るのか、それを想像し、考えることはできるはずだ。
たぶん、少しだけ、あっち側に近づくはずだ。
これがはじめの一歩。
わからなくてもいい、わからなければ、調べたり、聞いたりする。
そこで二歩目。
こうやって一歩ずつ歩いていく。
それからもう一つ大事なことは、整理と分析だ。
完成された作品を構成する要素を書き出して分類したり、まとめを作ったり、さまざまな型に当てはめて分析したりする。
つまり、作品を客観的に見るということ。
こうして、作品への理解を深めつつ、製作者の思考を取り込むのだ。
よく考えたらこれは謎解きに限らず、誰かの話を聞くときも同じかもしれない。
講演会などの時に熱心な人は、その人の本を読んでから行ったりするだろう。
たぶんなにも下準備をせずに行くと、小手先のテクニックや耳寄りな情報だけを掻き集めて、なにかを得た気になるだけだ。
でも、本を読んで、話を聞いて、出来たら質問もして、ということをすれば、その人の思考を少しだけ分けてもらえるかもしれない。
これがきっとはじまりだ。
根幹にある思考を手に入れられれば、自分でも同様の思考をして、別の新しいものを作ることもできるだろう。
偉そうなタイトルをつけてしまったので、まとめをどうしようかと悩んでいるけれど、とにかく作品を客観的に見つめること、作った人の目線で考えることをすると、たぶんただの感想が、今後に生かせる価値を持ったインプットに変わるだろう。
私はこれらが全然出来ていないので、毎日がただの遊びになっている。
楽しいだけの日々は、ここまで。
充実した日を過ごします。
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