ショパンピアノ協奏曲第1番(2022.9.8) & ザナルカンドにて

9/8に、久しぶりにかてぃんさんの演奏を生で聴いて参りました。
第二楽章の音、なんて尊くて、無垢な音を出されるのだろうと感涙。。。
あの美しさをうまく表現できる言葉がないのですが、第二楽章の冒頭から涙が一気に込み上げて来てしまいました。

無垢な感情(憧れや祈りや夢)を体現するようなあの音で奏でられる第二楽章の最初の旋律には、誰もが心洗われると思います。
この世界のどこかに必ずあるはずの希望や、宇宙のまだ見ぬ未知の領域や法則、天に光る星の太古の瞬きや、広い世界で出逢えた恋人との奇跡のように。
無垢で、深淵で、一点の曇りもなく、ただひたすらに美しいものを感じさせてくれた、そんな演奏で、自然に涙が出るほどに素晴らしかったです。

オーケストラ好きとしては、そのあとのブラ1もめちゃくちゃ素敵でした。本当に会場の皆さんも大感動でスタンディングはもちろん、拍手も鳴り止みませんでした。


じつは、上記のコンサートを観に行ったその数日後に、再び突発性難聴を再発してしまいました。
同時に軽度の鬱状態も発症していて、メンタル的には今かなりしんどい状態です。

今年の2月辺りから仕事が急激に忙しくなり、さらに7月に人が抜け、その分の仕事が丸々割り振られ、キャパオーバーな状態だったのですが、最後に駄目押しで8月末から新規のプロジェクトも担当する流れになって。

コンサートから数日後のある朝起きたら、元々高音域難聴の残る右耳がいつもに増して聴こえない。子どもが右側にいて喋っていても、いつもなら聞き取れるのによく聴こえない。昨日まで聴こえていた音量自体ががくっと落ちて音が聴こえない。代わりにいつもより大きな耳鳴りの音がする。

「あ、またか」と思った。
一度右耳を全音域で完全失聴しているので、あのときに似た感覚(聴こえなさ具合)に身に覚えがありすぎて。やってしまった、と後悔した。

すぐに耳鼻科に行って検査。検査してくれる方も異変があるせいか、念入りに何度もやり直して行う。結果、中音域の聴力ががくっと下がってほぼ聴こえないレベルに落ちていた。

そこから、ステロイド薬の投薬治療。かなり強い薬なので副作用がきつい。吐き気と頭痛と倦怠感の三重苦。さらに副作用で自己免疫力が下がってしまうので、息子経由で貰ってきた風邪を自分だけこじらせてしまう始末。

いやー。もう。
さすがに落ち込む。日々頑張っているのに、何でこんな目に逢うのかなと。
まずは、突発性難聴を再発するまで仕事で追い詰められた事に対する、静かでやりきれない怒りがあって。
それとは別に、自分の身体の不甲斐なさ、無理がきかなくて難聴として不具合が出てしまう事への苛立ちと、一生この爆弾を抱えて生きてかなきゃいけないのか、という絶望混じりの悲しみで一杯になる。

「突発性難聴は再発しない」
と一般的な説明には書いてある。
けど、私は一度右耳の完全失聴から、奇跡的に高音域の難聴のみが残る程度まで回復した経緯があるので、逆を言えば、いつでも一度弱った内耳の神経部分に難聴が出る可能性があるのだろう。

限界を越えても頑張りたいような事があっても、限界を越えないように常にセーブしなきゃいけない。
頑張りたいことなんてたくさんある。
ピアノも、勉強も、子育ても、ダンスも、もちろん仕事も。今はたくさんたくさん頑張りたい事がある。少しキャパオーバーでもちょっと位踏ん張れるようになりたい。
けど気持ちとは裏腹に、ストレスが溜まると先に、勝手に身体が限界を迎える。気持ちの自由を体の限界で奪ってくる。それがずっとこの先も続くのか。
そんな風に感じ私は今回めちゃくちゃ落ち込んだ。

でも、そんなときにかてぃんさんの「ザナルカンドにて」を聴いた。涙が出た、とか、直情的なことはどうでもよくて。
今の私には本当に響いた。
かてぃんさんのこの演奏に込めた想いや、演奏の技術や音楽性云々については私には書けることがないので、ぶっちゃけ100%完全無視で、とにかく今の自分にとってこの演奏がどう救いになって、私がどう感じたのか、あくまで主観100%の今の私にとっての「ザナルカンドにて」を述べたい。

(冒頭の音が流れ出して、思う)
世界には、美しいものがたしかにあって。
でも、それとおなじで、不条理な悲しい出来事や、理不尽に暴力的な運命や、不公平な現実もたしかに厳然とそこにあって。誰かを選ばずに、ある日痛みは突然に降ってくる。
(サビ?に入って、思う)
その痛みは、一人一人のものでしかなくて。
他の誰かがたとえ共感したとしても、決して分かち合うことはできない。それは各々が背負うべき人生の苦しみでしかないのかもしれない。
(「でもね。」
そのあとピアノの音色はだんだんと強く歌って、いう)
その苦しみはあなたひとりのものだけど、苦しみを抱えているのはあなたひとりじゃない。
あなたと同じように、この世界でたくさんの人が一人では抱えきれないような苦しみを抱えて、泣いている。今も悲しんでいる。
だから、あなたも悲しんでいい。たくさんの痛みを抱えて泣く大勢の人たちと一緒に、あなたも人生を嘆いて、悲しんでいい。
そしてそんな風に泣いているあなたはけっしてひとりじゃない。他の大勢の同じ痛みを背負った人々が、そして、このピアノが、傷付いたあなたを知っている。見ている。包んでいる。
だから、安心して、今は傷付いて泣いていていいんだよ。


そんな風に、言ってくれている気がして。
少なくとも今の自分には、このザナルカンドにて、がそういう演奏に聴こえて。もうめちゃくちゃ救いになっている。

他の方やオーケストラのザナルカンドにての演奏も聴いたけど、全然こんな風に感じなかった。
かてぃんさんの演奏を、言うなれば本人の了解もなく勝手にこじつけてるだけでしかないのに、このピアノがあまりに優しくて、心の傷付いたところに、痛みに染み込んでいくから。おだやかに。それでいて凛と力強く。だから、この演奏を聴いているときだけが、今は本当に心休まるときです。

ありがとう。かてぃんさん。
再び救われています。
いつも傷を負うたびに救いの手を差し伸べてくれる、そんなあなたは天使か、白魔導師のようです。
本当にいつもありがとうございます。
心からの感謝を込めて。

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