しろくま小屋の大きなつぶやき-01

また行きたいと思える街を作るのはそこで暮らす人 編

僕は街に関わる仕事をしているけれど「まちづくり」という言葉は嫌いだ。
その理由は、[まちづくりという言葉あんまり使いたくないんだけど、しっくりくる言葉を見つけたよ 編] で書いているので興味のある方は読んでいただけたら嬉しいです!

これまで関わりのあった地域

神奈川県の川崎で生まれた僕は、大学生活の後半21歳くらいから様々な街に行ったり住んだりすることで、地域や地域の人々に関わりながら研究や仕事をいただいている。

これまで何かしらの関わりがあった地域を都道府県名で書き出してみる。
岩手県、宮城県、新潟県、東京都、神奈川県、静岡県、大阪府、京都府、和歌山県、広島県、徳島県、福岡県、長崎県、熊本県、鹿児島県

国外だと、中国、台湾

この中で住んだことのある地域を時系列で並べてみる。
神奈川県→台湾→神奈川県→福岡県→京都府。

台湾での生活

住んだことのある街の中でとても印象に残っていて、何度でも訪れたいと思う場所の1つは台湾です。
台湾には交換留学で1年程住んでいた。

台湾での第1歩は、住む家を探すというところから始まった。
交換留学なので本来は現地の大学・大学院の寮に入るのですが、運悪く寮がいっぱいで自分で家を探さないといけないという状態だった。

幸いにも研究室の先輩が台湾で就職をして現地で生活していたので、相談をして到着してからの1週間だけ、泊めてもらうことができた。
その間に家を探す。
台湾人の友人たちにも協力してもらいながらなんとか決めた家は英語が通じないオーナーさんが持つ家だった。

現地の大学院での授業は英語。
現地の友人たちとの会話は英語と覚えた台湾中国語を混ぜた謎の言語。
買い物やご飯などの生活は、基本台湾中国語。
そんな生活を1年程していた。

台湾に何度でも行きたいと思う理由

料理が美味しいとか、観光とか、友人たちがいるとかという理由は1度置いておいて「まちで暮らす人々」に視点をおく。

台湾で暮らしていると現地で暮らす人々との接点が生まれてくる。
よく買い物に行くお店の店員さん、ご飯屋の店員さん、大学の食堂のおばちゃん、街を歩いていると突然話しかけてくる親日家の人、道を訪ねるために話しかけた人、もちろん友人たちも。

1番衝撃を受けたのは、川沿いにあるサイクリングロード周辺のテニスコートでの出会い。


高校までソフトテニスをしていた僕は、ボールを打つ音に誘われてサイクリングロード沿いのテニスコートにたどり着いた。
そこでは5〜6人の人たちがソフトテニスを楽しんでいた。
しばらく見ていると1人が声をかけてくれた。
「テニスできるのか?」
「日本人か?」
「できるならやっていくか?」
台湾滞在の1週間と少し過ぎた頃の出来事だったので本当にカタコトな覚えたての台湾中国語で会話をして、一緒にソフトテニスを楽しんだ。

どうやら彼らは毎週同じ時間に同じ場所でソフトテニスを楽しんでいるようで、来れる時はいつでも来ていいという話をしてもらったので、定期的に参加させてもらうことになる。

驚いたのは、行くたびに僕用の道具が準備されていくこと。
はじめは、ラケット。
次は、テニスシューズ。
最後にはウェアまで。

そして、観光やご飯にも連れて行ってくれる時もある。

そうです。
「人を通して街を知る」という経験。

何度でも訪れたいと思える街の共通点


この記事を読んでくれているあなたも旅行に行った際に「人を通して街を知る」という経験したことがあるかと思います。

こういう体験は、その街の記憶として残りやすいですよね。
しかも良い記憶。
良い記憶が多い街は時間が経った後にまた行きたいと思う理由の1つになりやすいと僕は考えています。

つまり、観光で訪れた街であろうが、住んでいる街であろうが、その地域で暮らす人々との関わりの濃さが「また行きたい街」や「人に勧めたくなる街」に繫がる。

「まちづくり」に取り組む人が街のすべてを作っているわけではなく、僕も含めた彼らはきっかけとなる活動や場所、そして「新しい日常」を作っている。
実際に「まちの風景」を作っているのは、そこで暮らす人々なのです。

これまでの記憶を辿ってみてください。
旅行で何気なく入ったご飯屋さんでお店のおばちゃんやおじちゃんと楽しく会話した街。
なんだかよくわからないけど、酔っぱらいに絡まれて嫌な思いをした街。
道がわからず聞いてみて、親切に教えてもらった街。
逆に、無視されたり適当に返事をされた街。

あなたはどんな街にまた行きたいですか?

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shirokuma design hut. 関目 (@shirokumahut)

今よりもっとたくさんの「新しい日常作り」ができるように応援よろしくお願いします。