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愛する力を身につけたい

思えば大学時代の友人たちは褒め上手だった。

私は人生でこんなに褒められたことがなかったから「褒め期」でもきたのかと思った。
それか関西の人は褒め上手なのかと。実際それもないこともないと思う。比較的大袈裟な関西人は褒める時も大袈裟。

高校までの友人が褒めてくれなかったと言いたいわけではない。でもなんだろう。だいぶかいかぶっていたような気はする。「私本当はそんなにちゃんとした人間じゃないんだけどな…」と思いながらも皆んながそこを評価してくれるので頑張る。みたいなループ。
これが悪いわけではない。むしろ頑張る原動力をもらったのだからありがたい。

対して大学の友人は等身大の私を褒めてくれていた気がする。褒めるっていうのもだし、これまた大袈裟なのかもしれないが「存在してるだけで素晴らしい」みたいなところがあって。「あなたのここがすごいよね」っていう言葉が日常的に溢れていた。私ばかりが褒められていたのではなくみんなお互いを褒め合っていた。
こうやって普段から褒めちぎってくれる友人たちのことを私は心底尊敬し憧れている。

褒め上手な人は人の良いところを見つけるのが上手いという人間力の大きさはもちろん、それを言葉にして相手に伝えるのは円滑な人間関係構築にも繋がっている。だって自分を褒めてくれる人のこと嫌いにならないでしょ。

こうして私の自己肯定感が培われていく事になるのだが、私も受け身ばかりではいけない。みんなを褒めたい。そう思っても中々実行に移すのは難しいと感じる日々。

褒めるのってもはや才能なんだな。もしくは幼少期からの環境の問題もあるのかもしれない。

思えば褒められて育てられたタイプではない。

うわぁ・・・褒め方わかんない・・・


人のいいところを見つけるのはそれなりにできると思う。ただそれを言葉にして伝えるのが難しい。なんか伝えるのも恥ずかしいしタイミングもよくわかんない。

大学の友人はもうほんと頻繁に「かわいい」「好き」「すごい」「上手い」「面白い」「最高」「天才」と言っていた。

それを聞く度に、こんにも愛に溢れた言葉で満たせるのすごいなぁと実はすごく冷静に思っていたものだ。

しかもそれを自分を卑下せずに言えるのだ。私だったら「それに比べて私は・・・」となってしまいそうなものを。

自己肯定感も他己肯定感もすごかったんだな。

どんな育ち方をしたのだろう。

でもこうやって人を愛せる子って愛される子だから、憧れる。

いるだけでパワースポットじゃない。


愛する力があるんだなぁ


難しそうだけど、後天的に今から身につく力だろうか。



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