アンニョン、ピーテル #В 【君の名は】
引用したのは、プーシキンの「青銅の騎士」の有名な一節である。下に朗読のリンクを貼っておくので、ぜひロシア語の響きに浸ってほしい。
わたしはこの青銅の騎士像がたつサンクトペテルブルクに日本語教師として派遣された。サンクトペテルブルクの目抜き通り、ネフスキー大通り (Невский проспект) を挟んで、向かい合うように建つ血の上の救世主教会 (Храм Спаса на Крови) とカザン大聖堂 (Казанский кафедральный собор)。わたしの寮はそのカザン大聖堂のすぐ裏手辺りにあった。めちゃくちゃな好立地である。観光地のど真ん中に住んでいたと言ったらいいか。京都で言ったら二条城の裏に住んでいたようなものかもしれない(適当)。
サンクトペテルブルクは、この町の建設を命じたピョートル1世と同名の聖人にちなんで名付けられている。Saint Petersburg (Санкт-Петербург) はSaint(聖)Peter(ペテル)の町ということだ。 `burg` は「城塞」という意味。ハンバーグの語源となったドイツのハンブルク (Hamburg) の `burg` だ。余談だが中国語では「汉堡 hànbǎo」で、「堡」は砦の意味がある。天才翻訳。
この町は後にペトログラード、レニングラードと改名されたあげく、結局またサンクトペテルブルクと呼ばれるようになった。地元の人は親しみを込めて Питер(ピーチェルのような発音)と呼ぶ。決して「サンクトペテルブルクというのかい?贅沢な名だね…」とか言われてこの呼び名になったわけではない。このマガジンのタイトルもここから取っている。
さて、サンクトペテルブルクに着き寮に案内されたときはもうすでに0時近かった。ひとまず翌日に大学内での手続きやらをしてもらうことにして、その日は泥のように眠った。あまり寝心地のよくない固いかたいベッドだったが、沈むように眠りに落ちた。どこでも寝られるのがわたしの唯一の長所だ。
次回はもう少しこの寮のことについて語ろうと思う。
次回へ続く。
Продолжение следует.
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