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杏のさくら【シロクマ文芸部】

桜色のワンピースを着た少女が自動改札をとおった。

「ピンポーン」

他の客の対応に追われていた駅員が横目で彼女を確認し、目線をその客にもどした。

春の柔らかな日差しの下、少女はその雰囲気に似合わない街をランドセル姿で歩いた。
新宿高校の桜を見ながらその脇を通り、人通りが少なくなったあたりにあるタイムズの水色のワゴンに向かう。

トントントン。

3番のスペースに止めてあるステップワゴン。

車の中で寝ていた一人の男が目を覚まし、窓を叩く小さな手を確認すると「ガチャ」とドアロックを解除して同時にリアシートのスライドドアをあけた。

「ひさしぶり」
後部座席に乗り込んだ桜色のワンピースの少女が言う。


「うん、1年ぶりだ」
「ふっ、いつもじゃん」
「そっか」

キーを回して、車を走らせた。

新宿から吉祥寺へと向かう。
井の頭公園の桜が見ごろを迎えて、「明日くらいかな」と今日ここに来た。

「なぁ杏、スワンボートにでものろうか」
「バカじゃない」
「じゃ、普通のボートでもいい」
「突き落とす」
「あの池の真ん中にいるカワウって本当は偽物だって知ってた?」
「で?」

「いや、いい。」


杏と知り合ったのは10年前。
今日と同じように春の日差しに包まれた日だった。

小学校に行く途中にある井の頭公園で、赤いランドセルを背負った杏が桜を見上げていた。その桜は僕がいつも挨拶をする木だ。周りと比べると少しだけ年を取っているように見えたから、なんとなくいつも触って声をかけていた。

赤いランドセルの杏に近づくと杏は何事もなかったように「遅かったね」と言った。それから毎年、僕と杏はこの桜の木の下で会った。

しかし杏はずっと小学生のままだった。なにかタイムマシーン的ななんかそんななのかな?って思ったがいままで一度も聞いたことはない。

僕らにとってこの時間はとても大切で、毎年桜が咲くとこの桜の木の下で会い、そして会わない1年を過ごすということを繰り返した。

3年前に僕が車の免許を取ったことを話すと「乗ってみたい」と杏がいったので、「じゃ、ここまでの道のりを毎年ドライブすることにしよう」と提案すると杏はすんなり受け入れた。そしてそれからは毎年このタイムズで待ち合わせをして井の頭公園に向かうというドライブが始まったのだ。

傍から見ると僕らは兄妹か、親子、とまではいかないか、そう見えるだろう。でも彼女は実際は僕と同じ年か、成人は過ぎているはずだが。

「杏、実はあの桜、来年違う場所に移されるらしいんだ。かなり老木らしいからもっと環境が良いところに行くんだって」
「うん、そうだね」
「知ってた?」

「岳、もう来年からは会えない」
「え、なんだよ急に」
「私、あの土地でないと生きられない」
「どういうこと?」

杏が自分のことを話したのは初めてだった。
でもそれは、あの桜の木がいよいよ公園からなくなることが分かったからだろう。
「僕、なんとかする」
「ムリだよ、私、もう300歳なんだから」

桜の木として生まれた杏はあの地で300年生きた。
そして僕と知り合った春の日。
自分の命に限りがあると知った杏は、いつも自分に優しい手のぬくもりとそのまなざしをくれる僕と話がしたくて現れたのだとういう。

「あたし、ここから離れたらもうこの姿にはなれないから、だからもう岳には会えない。わかってたから」

「だから、会いに来た。」



杏の桜は翌年違う土地に移ったという。

当然僕には何もできなかったが、それでも僕は毎年井の頭公園の桜が満開になる頃あのタイムズに車を止めている。

窓を叩く小さな手が、見える気がするから。



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桜まつり、やっています🌸


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