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「よそはよそ、うちはうち」マインドが揺らぐ夜
同期からひさしぶりのメール。
学会で昔の先輩たちと会ったよ、みんな専門の道を進んでいて凄い、今度集まるから来ない?
なんてことない近況報告。
でも今の私にはひとつひとつが針のように突き刺さる。
みんなすごい。
みんなげんき。
眩しくて眩しくて。
きっとノコノコと参加したら私なんて霞んで消えてしまうんだろう、なんて普段なら思わないようなことを考えて袋小路。
これはマズい。
こんな時は深呼吸。
ゆっくりよーく考える。
まず、そもそも学会は嫌いだ。
研究したくない、管理職になりたくない、ずっと現場がいい、生涯現役。
うつ病になる前から私はそんな考えだった。
だから「元気だったら私も皆と同じ風に」説は成り立たない。
元気だったとしても研究はしたくないし学会も行きたくないじゃん私。
よし、1つ片付けた。
次。
専門を突き詰めるのもひとつの道だ。
でも私はそれを良しとしなかったよね?
病気になる前、私は別の部署に異動希望を出していた。
自分が選んだ専門科は好きだけど、この嫌気のさす環境で自分の思うような仕事はできないと見切りをつけて、だったら別の科で経験を積もうと行動した。
異動希望は通らなかったけど、その後病気にもなったけど、そのおかげで一旦離れた場所から見つめ直して次の一歩に進めたじゃないか。
あの時一度休んだから、留学という選択肢が増えた。
留学したことで英語という武器を手に入れた。
その後外科も内科もその他もなんでもござれで経験を積めた。
その中で医療英語をしっかり勉強しよう、と新しい道を見つけられた。
全部全部、何ひとつとして無駄なことはなかった。
全部が今の私を作るために必要だった選択で。
私は今の私でいい、と思っているし頑張ってると思っているし、山あり谷ありだけど充実した人生経験を送っていると自負している。
だから比べるもんじゃない。
でもああいう人たちが集まるとどうしたってマジョリティが勝ってしまう。それが「正しい道」だというものさしで測られてしまう。
だから集まりには参加しない。
自分の心を守るためにも。
だいたい、集まるメンツにはまだ新人で他の子より要領が悪かった私に対して「ほんとKY!」「もっと空気読んで!」と皆がいる前で執拗にキツい言葉を投げてきた先輩が混ざっている。
先輩は指導のつもりだったかもしれないけれど、自分が指導する立場になったからわかる。
あれは周りに人がいる時に投げていい言葉ではなかった。
もっと伝え方があったはずだし、現に当時の彼女はひたすら「KYだ」としか言うばかりで、どう立ち回れば先輩の思う正解が出せるのか1ミリも理解できなかった。
そんな人が10年ぶりに顔を合わせて昔話を始めたとして、どんな言葉の刃を向けてくるか分からないのは恐怖だ。
今でもあの先輩には良い印象はないし、きっと「もう時効だ」とでも言うように得意げに面白可笑しく話すだろうことは容易に想像できる。
だから参加しない。
メールをくれた同期とはちょこちょこ会ってるし、それで十分。
よし、2つ目も片付いた。
みんなもそれぞれバラバラの道に進んで頑張ってる。
私も私の道を時々躓いたり、怪我したら休んだりしながらゆっくりだけど歩いている。
学ぶことばかりで退屈しない人生だ。
異動希望を出した頃、病気になる前の惰性で嫌な気持ちのまま働いてたら、今の景色は見れなかった。
それでいいんだよ。
隣の芝生は青く見えるもんだし。
よそはよそ、うちはうち。
ひさびさに心の波が大きく荒れたけど、大丈夫。
真っ暗ななにかに飲み込まれそうになったけど、大丈夫。
言葉にして、客観視して、足元を確かめて。
そうすれば飲み込まれないから。
さあ、また明日を生きていこうな、私ー!
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