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人工知能分野の失われた30年

人工知能の父、マービン・ミンスキー。人工知能分野の開拓者であり、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」映画版のアドバイザーとしてもよく知られている。

彼は、1980年、ある雑誌にひとつの記事を掲載した。

その前年、アメリカのスリーマイル島で原子力発電所が故障し、誰も修復作業のために中に入ることができないという事態が発生した。

彼はこの記事の中で、人が入ることはできなくても、リモコン操作できるロボットを送り込むことは比較的容易にできるはずだ、と説明した。

それから約30年。まったく同じ事態が起こった。なぜ、東日本大震災の後、福島原子力発電所にロボットを送り込んで作業させることができなかったのか。

問題は、研究者がロボットに人間の真似をさせることに夢中になっているということ。

ソニーの犬ロボットは、サッカーができる。けれども、ドアを開けることも、何かを修理することもできない。いろいろな会社が見栄えのいいロボットを作ってきたが、笑ったり動いたりするだけで実際には何もできない。

ロボット工学は、30年前にその進歩はほとんど止まってしまい、その後はもっぱらエンターテインメント化してしまった。

なぜ、ドアを開けるといった、もっと現実的な問題解決型のロボットを作ろうとしないのか。

コンピュータ・プログラムは、いまやチェスのチャンピオンに勝つことができるようになった。にも関わらず、小さな子どもでも出来るようなことができない。

マービン・ミンスキーは、「人間がするようなことをロボットができたとしても、「そんなこと簡単だろう、子どもにだって出来るんだから。」と言われてしまって、たいして評価をしてもらえないだろうということを、研究者が認識しているからではないか。」と言う。

チェスのようなものは、実はコンピュータにとっては非常に易しい問題だ。

人間は一度に7つの数字しか覚えられないかもしれないが、コンピュータは数千分の一秒の間に100万もの数字を扱える。

コンピュータにとっては実に簡単だが、人間にとっては難しいこと、そういうことが人々を感心させるのだろう。

最も重要なことは、まずコンピュータに人間の子どもができるレベルのことが出来るようにさせ、そこから成長させていくことである。

研究テーマの選択を大きく誤ったために、過去30年が失われてしまったのである。

コンピュータにとっては、チェスのチャンピオンになることよりも枕を枕カバーに入れることの方が、はるかに難しい。

チェスの場合、単に可能な手を検索しつくすというだけで、人間の対戦者を負かすことができる。人間にとって難しいことは、コンピュータにとっては朝飯前。人間にとって易しいことは、研究対象としては無視されてきたわけである。

1980年頃、ロボットの知能を上げる研究をしている人々が、言語の代わりに統計を主体とするようになった。過去30年間、コンピュータの知能を上げる研究は、ほとんど統計的なもの、数字を使うやり方をとってきた。

ネット上では、統計的な照合システムがあれば、ある普通の文章をデータベースの中から探してくることはほぼ問題なくできる。

例えば、グーグルがやっているような検索を目的とする場合、探している2,3の言葉や事柄が入っている文章を探せばいいので、あまり問題ではない。だが、それらの言葉や事柄の、ある種の関係性を引き出そうとすると、ずっと難しくなる。今後、統計的な照合だけに頼らず、もっと理解力のあるプログラムができてくれば、状況は変わってくるはずだ。

今後、高齢化が進展し、我々の寿命がさらに延びれば、ますますロボットを必要とするようになるかもしれない。

失われた30年を取り戻せるか。今後に期待したい。

個人的には家事、育児をしてくれるロボットが早く出来たらいいなぁ。