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白の俳句道場風【第十三回】

今回はゆきみんの白杯提出句を取り上げていくよ!

ゆきみんとは

ゆきみんは、よく俺の記事に登場するので、ここに来てくれる人にはお馴染みかもしれないね。

ゆきみんにはルーンを作ってもらったり、いろんな診断してもらったりお世話になってるのよね。

よく、企画もしているよ。

https://note.com/shiroyukimin

白杯の神酒口づけす龍田姫

まさに白杯への挨拶句😊
白杯というのは、白い平皿のような形の盃。その白杯に注いだ御神酒に口をつける神様、龍田姫の姿が目に浮かびます。

季語は龍田姫。

龍田姫(たつたひめ)三秋
【解説】春をつかさどる佐保姫に対して、秋をつかさどるのは竜田姫である。平城京の西にある竜田山を秋の女神にたとえたもの。「竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉の幣と散るらめ」(兼覧王) と古今集に詠まれたように、紅葉にかかわる女神でもある。

きごさいより

こんな風に、何と神様も季語になっていらっしゃるのが何とも素敵だよね。

目に花火カメラ越しの夜鬼籍入る

鬼籍とは過去帳ともいって、閻魔様が死者の名前や死亡した日時を記したと言われるもの。だから鬼籍に入るとは、亡くなったということになる。

季語は花火。花火は何となく夏っていうイメージがあると思うけれど、実は秋。初秋の季語なのだ。俳句で言う秋はだいたい8月6日あたりからだから、それなら頷けるよね。

うちの父は花火が好きだった。
病室から花火の上がるのを見た夜 父は起き上がることもできず
弟の一眼レフカメラのディスプレイ越しの打ち上げ花火が最後の花火になったとふと思い出した…。

ゆきみんの自句自解より

そうか、お父さんとの思い出なんだね。と、すると「父」という言葉を入れたい。
とすると、ディスプレイ越しという情報をとるか

ディスプレイ越しの花火や父看取る

最後に花火を見たことに焦点を当てるか

病床の父と最期に見し花火

たくさん読み込みたいが、情報を諦めて絞る必要があるなあ🤔
こうやって二つ詠んでしまうのも手だね笑

月の舟なと海上の交響曲

これもいい季語を見つけたね。月の舟は、弓張月の傍題。

弓張月
【子季語】弦/弦月/半月/片割月/月の弓/月の舟/上の弓張/下の弓張
【解説】半月のことで、弦を張った弓のように見えることからの命名。陰暦八月七、八日頃の宵の弓張月は右半分が明るい上弦の月、二十二、二十三日頃の真夜中の弓張月は左半分が明るい下弦の月となる。

きごさいより

こんな素敵な季語を見つけるのだから、きっと歳時記をめくって、句に合う季語を探しているんだと、その姿が目に浮かぶね。

月の舟なと海上の交響曲

後半はかいじょうのコンチェルトと読ませるということだから中七「二音+海上の(五音)」下五「コンチェルト(五音)」ということで、あと二音。ここに、「なと」という二音を当てた。

ぱっと見「など」の表記ミスかと思ったら、「あなた」という意味で「な」と使っているんだね。なるほど🤔

柿本人麻呂という万葉時代の和歌の名人の歌に、こんな歌がある。

近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ
あふみのうみ ゆふなみちどりながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ

万葉集 柿本人麻呂

ここにある汝が「な」と読んで、あなたという意味をもつ。漢字を見るとわかると思うが「な」は「汝(なんじ)」なのだ。
ほら、教会式の結婚式で、「なんじ、病める時も健やかなる時も〜」っていうでしょ。あの「なんじ」。

だから、ここは漢字で書いた方が伝わるかもね。ちなみに、「あ」は「わ」であり、「吾・我」のこと。「吾子(あこ)」で我が子という意味になるよ。

月の舟汝と海上の交響曲

これでもステキだと思うが、俳句には句を取り合わせたときに、「つきすぎ」「離れすぎ」なんて評価をされることがある。
どうやら、季語を、あんまりストレートにイメージするものに近く詠むとそういわれ、全くかけ離れすぎると「離れすぎ」と言われるらしい。
絶妙な塩梅が必要なんだね。

そう考えると、月の舟ではなく、弓張月の他の傍題を合わせるのもいいかもしれない。

弦月ゆみはりと海上の交響曲コンチェルト

今後の予定

道場風の予定も余すところ、きいすちゃん、Miwaちゃん、千都ちゃん…気長に待っててね😅


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