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【俳句エッセイ】いやあ、いい記事を見た。

やあ、今日は、紫乃ちゃんのお題をおやすみしている白です。

土日は、家庭の時間を第一に、隙間時間や、寝る前に少しだけここにくる感じで、記事も書くつもりもなかったんだけど、書かせて。

俳句幼稚園ってすげえ

俺は、寝る前にマガジンの新着記事を見るのが、今日課なの。

で、今日も今洗濯物をたたみながら、マガジンを開いた。

飛び込んできたのはちえちゃんのこのつぶやき記事。

この推敲は素晴らしい!

推敲前の句
隔てなく紛争地流るる雨水
推敲後の句
隔てなく紛争地打つ春の雨

そして、その前の句
辺境の銃声絶えし雨水かな

ここから見えるのは、季語「雨水」の捉え方が変わったということ。

歳時記を見るとわかるのだが、雨水とは

雨水(うすい) 初春
【解説】
二十四節気のひとつ。立春の後十五日、二月二十日頃。氷雪が溶け水となり、雪が雨に変わること。草木の芽生えが始まり農耕の備えを始める目安になる。

きごさいより

つまり、雨水(あまみず)とはちがうのだ。
雪どけ水であり、時候であり、春の始まりを感じさせるそのような季語なのである。

ところが、字面からもつい、雨水として詠んでしまう。

かくいう俺も

この記事で詠んだように、二句目には雨の要素を強めた句を詠んでみた。これはいわば記事を読んでくださる人への投げかけであったのだが、ちえちゃんのこの記事は、俺の投げかけにみごとに答えてくれていると感じたのだ。

これはすごいと思って、ちえちゃんのコメント欄にコメントしようと思ったら、ロハちゃんとちえちゃんのコメントにぶっ飛んだ。

すげえな、この学び。

そうして、思わずこの記事を書いているのでした。←イマココ

そうして、思ったのは俳句幼稚園の素晴らしさ。

ここに集う人たちは、みな俳句をより詠めるようになりたいという向学心の高い人たちである。

自分の句を、他者から意見されることは決して気持ちいいだけではない。
しかし、ともに推敲し磨き合うことを求めてここにいるんだなと再確認。
俳句と向き合っている方がたくさんいらっしゃるんだなと俺は嬉しくなった。

俳句って一人では上達しないよね

俺は、一昨年前にプレバトの刺激を受けて俳句を始めたが、かといってリアルの結社(俳句の会のこと)に所属したいという感じでもなかった。
オンラインで夏井先生のように添削したくれたらなあ、なんて思っていたんだが、実際そんな場は皆無に等しい。半年もすると上達しているかどうかもわからない俳句に、だんだん魅力を感じなくなっていた。

ところが、そこで出会ったのが、みんなの俳句大会であり、俳句幼稚園である。

縁があって冠大会までさせてもらい、すっかり重鎮的感じになってしまったが、そもそも俺は俳句なんて、プレバトしか知らないのだ。
そんな俺が、いろんな俳句に触れ、俳句を詠み、俳句を学べているのは、紛れもなく、みんなの俳句大会であり、俳句幼稚園のおかげで、もし出会っていなかったら俳句からフェードアウトしていたことだろう。

俳句は一人では上達しない。
みんなと高め合うからこそ、俳句を詠みたいと思えるのだ。

というわけで、
ちえちゃん、ロハちゃん、今日はいいものを読ませてくれてありがとう。

洗濯物たたみをそっちのけで記事を書いてしまった😏

俳句幼稚園の皆さま、今後ともよろしゅう。

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