見出し画像

白の俳句道場風【第十一回】

今回は如月桃子ちゃんの白杯提出句を掘り下げていくよ。

如月桃子ちゃんの句はこちら。

君すやり秋風そより腹ちらり
秋来ても夜は短し金曜日
星月夜風呂場に響くドビュッシー

桃子ちゃんは絵描きである。茶寮を営んでいて、俺も今はnoteからいなくなったモンちゃんの紹介で訪れたものだ。

以前、俳句は写真や絵に似ていると書いた。どこに書いたかは思い出せないが、自分の感動の一瞬を切り取り、その映像だけでいろいろな思いまで包含しているところが、なんとも似ている。

俳句は言葉によって映像を浮かべさせるが故に、つい言葉で思いまでを語りたくなるが、そこはぐっと我慢した方が、かえって映像は読者の中に広がる

君すやり秋風そより腹ちらり

すやり・そより・ちらり という韻の楽しさ。
ひらがなで、優しさ、柔らかさ、温かさを表現する配慮。
秋風そよりという擬態語からは、涼しげな秋風を触感として肌に感じ、句に彩りを添える。

強いていえば三段切れという形にはなるのだが、あえてそれをねらいにいった句だと思うので、むしろその切れを楽しむのが鑑賞の仕方かも知れないね😏

付句 くるり見渡しこっそりとキス

秋来ても夜は短し金曜日

そういえば花金なんて言葉があったなあ…シミジミ。土日が休みの仕事をしている方も同じように感じるでしょうが、これって学生の特権のようにも思うのです。それとも若さの特権でしょうか。

前提として秋の夜長という意識があって「そんな夜長である秋の夜でさえも、私にとっては短いのよ。」という句だね。ちなみにこれが、さらに夜の長さが増す冬になると、短日が季語となる。秋は夜が長くなっていくことが、冬は日が短くなっていくことが季節の意識なのだと思うと面白いよね。

さて、秋来ても夜は短し金曜日 この句の切れを考えると、秋来ても夜は短し/金曜日となる。

終止形や体言止めはリズムに切れを作る

桃子ちゃんの解説を見ると

どんなに夜が長くなっても、好きなことをしていたり、好きな人と一緒に過ごしているとあっという間に夜が更けていきます。

とあることから、この句はむしろ切れを作らず

秋来ても夜は短金曜日

とすると意図に近いのかなあとも思うが、夜は短いなあという軽い詠嘆を入れるために、短しなのかもしれないね🤔

ひとつアドバイスをすると、一つの句の中では文語か口語かを統一するといい。例えば、短しという文語に合わせると

秋来れど夜は短し金曜日

口語だと秋来ても夜は短い金曜日なので、個人的には文語が好き😏

星月夜風呂場に響くドビュッシー

ドビュッシーといえば、月の光。

星月夜は、月のない、星が明るく輝く夜空のこと。

【季語】星月夜(ほしづきよ)三秋
【子季語】ほしづくよ、星明り
【解説】
月のない星明りにだけの夜空を言う。月が出ているように明るい星空である。【きごさいより】

クラシック音楽を流しつつ、電気を消して湯船に浸かり、窓を開け放して星月夜を見上げる。湯煙、夜風の涼しさ、ゆったりとした贅沢な時間、満天の星空。流れ来るドビュッシーの月の光。

そんな、五感を満たしてくれる一句。

コメント欄にドビュッシーという名詞が、若干強すぎるという意見もなるほどとは思うのだが、ここは変えようがないので笑、その前の「響く」という言葉を流れるとか揺蕩う(たゆたう)とかのような、少し音量をおさえそうな言葉で表現するとバランスがとれるかもね😏

総じて、お見事。さすが桃子ちゃんの三句でした!


この記事が参加している募集

国語がすき

お読みくださりありがとうございます。拙いながら一生懸命書きます! サポートの輪がつながっていくように、私も誰かのサポートのために使わせていただきます!