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【教育】「特別の教科 道徳」のお話その1

一言まとめ

道徳の時間への問題意識から「特別の教科 道徳」は始まった。

 道徳が教科に変わってから、はや三年目(中学校では2019年度から完全実施)道徳の様子も昔のイメージとは様変わりしてきた。
 教科化して初めての授業を受けた世代が、今高3になるわけだからnoteの住民たちは、ほとんどが昔の道徳を受けていた世代になるだろう。
 ちょっと自分のまとめも兼ねて、特別の教科道徳についてまとめておこう。

昔の道徳授業

 中学校の時の道徳の授業を思い出すと、どんな記憶がある?
 そもそも記憶がない笑、ということもあるかもしれない。

 では、言葉をかえて
 道徳の教科書ってあったよね。あれ、全部授業でやった?
 多分、多くの人がところどころしかやってないんじゃないだろうか。

 実は、道徳って週に一時間は設定されていたはずだから、一年間あれば教科書を全部使っているはずなの。でも実際は、時々使ってたけれど大体は先生の話だったり、学級での話し合いや活動だったり、そんな感じの授業になってたんじゃないかな。

 それはなぜかというと、道徳が教科じゃなかったからだ。

以前の道徳の課題

 道徳が教科じゃなかったことは、いくつかの課題を産んだ。

 上の文で、道徳の「教科書」と言ったけれど、本当はそれは正しくなくて「副読本」と言うのが正解。つまり、道徳の授業をする時に使う必要があれば、参考資料として使っていいよ、というような位置づけだった。

 だから、僕ら教師は必要があれば、新聞記事や他の資料、自分の体験などいろんなものを自作教材として道徳で使うことができていたし、何か学級で問題が起こった時に、そのことについて考える時間として道徳の時間を充てることもあった。担任の先生が柔軟に授業をすることができたんだ。

 一方で、それは「先生間の格差」を産んだし、「身につけるべき道徳性の偏り」も産んだ。
 道徳を一生懸命する先生と、言葉は悪いが、道徳を学級の時間の一つとしか捉えていない先生とでは、差があるのも当然だ。
 また、例えば「自由と責任」とか「個性の伸長」などの道徳的価値をたくさんやる一方、「自然愛護」とか「伝統と文化の尊重」などの道徳的価値は苦手だから、道徳で取り扱わない、なんてことも多くあった。

 そして、なんといっても「いじめ」だ。
 社会に激震が走るような「いじめ」が横行したことに大きな危機感を抱いたことが、道徳の時間の見直しを後押しした。

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