妖怪ノコシトク

「残しておく」ことが自分の使命という感覚を、近年よく抱くようになった。
使命と言うと重苦しいしそんな大層なものでもないのだが、なにかと残しておく事と縁があるのだ。
自分自身も物を残しておくのが好きだ。

初めて目的を持って描いた絵は、やはり残しておきたいものがあったからだった。記憶に残る限りは。何が記憶に残るかは後にならないと分からないが、過去について覚えている物事のうち、残したいから描いた絵のことはよく覚えている。目的は果たされているぞ、昔の私。
覚えておきたいと思って描いて忘れている絵もあるだろう。残念だったな、私。

今も「描きたい」と言うよりは「残したい」気持ちから絵を描くことが多い。昔から変わらず継続しているということは、つまり興味があるとかそういうことなのだ。
残すために絵にする、文章にする、歌う、写真に撮る、記録する、模造する。数多の手段から主に描くことを選ぶのは、たぶん絵が好きだからで、たまたまパラメーターを絵やその周囲に振っているからだ。歌を歌えたら、音楽を作れたら、それらの手段を使っていたかもしれない。

仕事に関しても都合により色々な業種を渡り歩いて来たが、それぞれ違う方面の仕事であるにも関わらず、残すこと繋ぐことが根底にある仕事ばかりだった。
調査し記録する仕事、古い物を直して繋ぐ仕事、受け継がれてきた技術を更新していく仕事。

ここまで来るとただならぬ縁があるなあと感じ始めるわけである。なのであえて使命と言ってみた。
きっと私には、穴蔵に物を溜め込むのが好きなリスのような妖怪ノコシトクが憑いている。


写真だとかも撮るのが好きで、携帯電話で気軽に写真を残せるようになった日は感動した。たくさん写真を撮っている。残したい物が多いから。
そうして残したデータは永遠だと思っていたら、データ自体は条件によっては劣化しないものの壊れる、という事実に直面し衝撃を受ける。
ついでに最近になって、パソコンなど媒体の変化、進化だとかで見られないデータが出てくるだとか、長期的に見るとかなり脆い媒体であると気付いてしまった。
それを思うと土偶とかは(埋蔵された場所だとか土の状態だとか色々あるけれど)残るもんだなあと、媒体について考える機会にも恵まれる。保管された絵画や石板だとかも頼りになる。いや、データも正しく目的を持って保管されれば長く続くのかもしれないが。そういった事も含めて目を向けるようになった。

空き瓶から庭の鬼灯、本にぬいぐるみと、物が溢れている自室で想う、残すこと。
集めた物に埋もれる安心感のためにこれからも私は残し続けるだろうし、そのように生きていくだろうし、縁も繋がっていくのだろう。

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