【時が来たら、誇りをもって脇にどけ】樹木希林さん
🟦私が10年以上使っている手帳には、気になった言葉が書き留めてある。
テレビで聞いた言葉、ドラマや映画の中のセリフなど、きっとその時の自分の心に刺さった言葉だろう。
生前の樹木希林さんが、「どこかの児童文学者が書いてたんだけど…」と紹介されていた言葉がある。
『時が来たら、誇りをもって脇にどけ』
いつ書き取ったかも覚えていないけれど、
多分まだ私が、“自分が、自分が‼”と張り切って働いていた頃だろう…と思う。
脇にどく…なんて頭の片隅にもなかった頃。
いや、もしかしたら頑張っている自分が苦しかったのかもしれない。
子供達も大きくなり、久し振りに外に働きに出て飛び込んだ世界は、私にとって完璧に新しい世界で、結婚前に働いた経験など、何の役にも立たないところだった。
出来ないことが多くて、歳だけとった、ただの“ペーペー”。
きっと野暮ったく働いていたと思う。周りの人達がとても大きく見えた。
その中でも、ずば抜けて仕事ができる先輩がいた。完璧で厳しい人だった。
私には“生真面目さ”と“のめり込む”くらいのワザしかなかったけれど、その人に割り振られた仕事を積み重ねて、次第にその先輩に近づいていった。
重ねた努力は報われた。とうとうその先輩の仕事を譲り受けることになった。
仕事の大変さは十分わかっていたので、躊躇もしたけれど、とても張り切ってもいた。そしてどんどんのめり込み、“私が頑張らなきゃ‼”と思うようになっていた。
ただ、のめり込み過ぎてどんどん仕事を増やし、まわりから見ると、”あの人は何で一人で忙しそうにしているんだ?”状態だったと思うし(苦笑)、
少々ストイックになりすぎて、周りのスタッフには迷惑がられてかもしれない。
しかし、少ない人数で仕事を回していると、一人だけしかできない仕事というのは、リスク回避の点でもよろしくない。
随分長い間任せてもらっていたけれど、時が来ようとしていた。
自分から求めた時ではなかったけれど、別の仕事へと変わった。
自分の中では精一杯やり切った感はあったし、
のめり込む性格のせいで、背負ったやり甲斐が、背負いきれなくなってきていた頃だったかもしれない。
自分がいつかやりたいと思っていた仕事ができ、精一杯取り組んだことには誇りをもっていた。
“もう自分がこれをやらなくてもいいんだ”と心の中で実感した瞬間の、まわりの景色や空の明るさを…今でも覚えている。
あの解き放たれた感覚や見た景色は、それまで十分にやり切った自分がいたからこその開放感だったと思うし、時が来て、脇にどいたからこそ、見えた景色だったと思う。
久し振りに目を通した手帳のメモ書きに、仕事をしていた頃の自分を重ねてみたけれど、いろんな事に、いろんな意味での『時』がくるものだと思う。
まぁ、脇にどくほど、だいそれたものでなくても。。。
身近にそれを教えてくれるのは、実家の母。とても多趣味な母はいろいろな事をしていた。でも、突然大きな病気をする人で、いろんな手術のあとの自分の身体に合わせて、生活を変え、趣味を捨ててきた。
そして、今の自分を大切に生きている。いつもいろいろな事を教えてくれる。
惰性や習慣、変化のない安心感。
生活の中には、変わらない事への安心感があるけれど、自分自身に巡ってくる『時』は見逃さないようにしたい。
物への執着はミニマリストへの道を遠くする💦
運転免許を返すタイミングを誤ると、大変な事になるかも知れない。。。
言葉がとても深く、まとめにもなりませんが、このへんで。。。
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