【2000字小説】『琥珀の在りか』
だから戻りたくなかったんだよ。
俺がぐっとラムネをあおると、ビー玉がカランと頭の悪そうな音をだした。
さっきまで俺の周りにいた同級生はみな、盆踊りの輪に入っている。俺は簡易椅子で、音楽に合わせて笑いながら踊る同級生たちを眺める。
蛾、みたいだな。
暗闇の中、明るさに引き寄せられる蛾にそっくりだと思ったら、余計に自分が異物そのものに感じられた。
そろそろ顔を見せろ、と両親のしつこさに負けて地元に顔だしたが、ここは相変わらず息苦しい、大嫌いな場所だ。
同級生に進路について聞かれたとき、東京の大学に行くと答える俺を彼らは「昔から頭良いもんな」と鼻で笑った。
地質学の本やシーボルト昆虫記を読み耽っていた中学生の俺を彼らは「本ばっか読んで楽し?」とせせら笑った。
鉱物や生き物が好きで、一人で山に入ろうとする小学生の俺を彼らは「にぶいやつが山に来んな!」と追い返した。
そのうち、就職も結婚もしない俺はさらに蔑む対象になるだろう。ここで就職して、結婚し家族を作り、家を継ぐ。それだけが正しい生き方だと信じる人しかいない。そんな場所では、俺のようにポストが空くまで院生として大学にしがみつく大人は、まさに失敗の手本だ。
「……ビールも飲めるようにならなかった」
無造作にあるいくつもの机上の酒缶を眺める。ここにある酒缶はすべて同級生の飲みかけのものだ。彼らは高校生から大人に隠れて酒とタバコに手を出していたが、二十歳をとうに超えた今も俺は酒が飲めない。
大人になればきっと酒くらい飲めると思っていた。そんな幼い頃の夢さえ、俺は叶えられていない。
手にある飲み物はラムネのはずなのに、苦い味がする。そんな馬鹿なと一気飲みしようと顔をあげると、ふと、視界に小さな男の子が映った。
狐のお面をかぶり、浴衣を来ている。林と道の間にある石の上に腰掛け、その男の子はまっすぐ俺を見ていた。
目をそらせずに見つめ返していると、すっと男の子は立ち上がり一直線に俺の方へかけてきた。
「は?」
呆然としている間に、男の子は俺の目の前で握りこぶしをつきだし、ぱっと開いた。俺のひざの上に何かが転がり落ちる。
「え、ちょ……」
拾い上げたそれは、蜜色に光る琥珀だった。
これ。
鳥肌がたった。慌てて男の子が消えた方を見つめる。すでに姿はなかったが、夜露でぬかるんだ道に、はっきりと小さな下駄の足跡が残っていた。
飲みかけのラムネを放り出し、足跡を追いかける。
思い出した。
同級生に当時俺の宝物だった琥珀を遊び半分で奪われ、茂みの中に投げ込まれた。大泣きして琥珀を探す俺の前に現れた、当時の俺と同い年くらいの男の子。顔は思い出せないが、浴衣姿で下駄を履いていた。男の子はどこからか俺の琥珀を見つけて渡してくれた。そのまま俺の手を引いて、山の中へと歩き出した。
あの子と山に入ると、草や石、木までもが自ら道をあけてくれるようだった。あの子が案内してくれた大木には珍しい蝶が集まり、河原では翡翠を見つけた。あの子が連れて行ってくれた洞窟を秘密基地にして、俺はそこにお気に入りの石や道具を隠した。
「嬉しいとき、やったねってとき、あと、きっとうまくいくぞってとき、ぐって親指をたてるんだ。ほら、やってみて」
いつまでも言葉がないあの子と意思疎通がしたくて、親指をたてるポーズを教えたこともあった。俺の言葉に、おずおずと親指をあげたあの子。嬉しさで飛び上がりながら、俺も親指を立てて……そうして、春も夏も秋も冬も、俺はあの子と山で過ごした。
だけど、成長した俺は家で本を読むことが増え、そのうち全く山に入らなくなった。
暗がりの中、なぜか月の光だけであの子の足跡だけがはっきりと見えた。下駄の足跡は気づけば狐のような足跡に変わっている。
ふと、視界が明るくなった。見あげると、周囲の木がなくなっている。ひらけた場所には月の光が白く降り注いでいた。
秘密基地だった洞窟だ。洞窟の後ろにある楠の太い枝に狐のお面の子が腰掛けている。
俺が荒い息を落ち着かせようと肩で息をしていると、その子はたっと地面におりてしゃがんだ。どこに隠し持っていたのか、たくさんの翡翠と、俺の望遠鏡、虫眼鏡を丁寧に地面においた。
地面に並べられた、かつての俺の宝物たち。俺がじっと見つめていると、男の子はこれでよし、というように何度か頷くと、あのポーズをして、ひらりと茂みの奥に消えた。彼の後ろ姿には、白い狐のしっぽのようなもの見えた気がした。
足がどうしようもなく震える。あの子が置いていったものを一つずつ拾って、俺は唇を噛み締めた。
こんな場所死ぬほど嫌いだと思ってしまった。違った。確かにここだけは俺のベースを作ってくれた場所だった。あの子がくれた最後のポーズを胸に刻みつけながら、俺はもう一度、今度こそ胸をはってこの山に来ようと強く思う。
……END
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