【小説】『星をたどるように』(七星の場合)第5話最終話

 ひたすら黙って早足で歩き続けていると、頭の中が夜風と一緒に冷やされていった。それと同時に、自分がみじめでしょうがなくなる。
通りかかった公園の中に入り、ベンチに座りこんだ。ほう、とため息をつくと一緒に涙が転がり落ちた。
「……なさけな」
 涙を追いかけるように言葉がこぼれた。灯理を、不登校で部屋でくすぶっている可哀想なお姉ちゃんだと思っていた。詩緒を、友だちがいないオタクだと思っていた。
あたしはマシだし、よほどうまくやっていると、思っていた。
「……はあ」
 ぎゅっと両手を目に押し付けるが、じわじわと熱いもので指先が濡れていく。
 詩緒は平然と先へ進んでどこかへ行ってしまう。灯理はとっくに泣くのをやめて一人きりで挑戦していた。あたしは?
「宮下七星、さん?」
 突然、上から声が降ってきた。はっとして顔をあげると、目の前にジャージ姿のみっくんがいた。
「え? あれ、みっく……いや、えっと、美空先生……? え、なんで?」
「夜のジョギング。といっても、まだ走ってないけど。わたしの家、このあたりなの」
 真っ黒な細身のスポーツウェアに身を包んだみっくんの透明な声は、夜風がただよう公園にすっと溶け込んでいく。
「横、座っても良い?」
「あ、はい、どうぞ……」
 慌てて、目をごしごしと拭いて場所をあけると、はい、とみっくんからタオル地のハンカチを手渡された。
「綺麗だから。汗拭いてない」
「あ、はあ……すみません、ありがとうございます」
 ハンカチで目元を抑えると、ふわっと香水の香りがした。ママとは違う大人の女性の匂いだ。
「大丈夫? 必要なら警察とか……」
「け、警察⁉」
 いきなりことが大きくなり、焦る。みっくんは切れ長の目を細めて、首を傾げた。
「違うの? こんな夜に公園で泣いてるから、ご両親にも言えないようなことが起きちゃったのかと」
「ち、違いますよ! 違います、ただ、わかってなかったことが急にわかって、びっくりして。あと自分がしょうもない人間だってこともわかっちゃって。もう、情けなくて……」
 言いながら、また鼻がつんとして涙がぽろっと出た。水粒はふわりとしたハンカチにあっという間に吸い込まれる。
 こんな、しょうもない話、みっくんにはまったく共感できないだろうな……。
 そう思いつつ、あたしはぽつりぽつりと今日あった出来事をすべて話してしまった。
「今のままでいいんです。もっと悪くなるかもと思うと、何一つ変えたくない。でも、姉も詩緒も、全然平気そうで……あたしよりよっぽどすごいってやっと気づいたら自分が情けなくって。すみません、そんなことで泣いて心配かけて」
 ぺこりと頭を下げた。みっくんは綺麗な目じっとあたしを見つめていたが、やがてすっと目をそらした。
「七星さんには、ひどい言葉に聞こえるかもしれないけど……変わらないものって、何一つないよ。石だって、ずっと雨に当たっていれば形が変わるもの。人間なんてどんどん変わる。時間に勝てないものってないよ」
 みっくんは美しい手付きでタバコを出して口にくわえた。それから当たり前のように火をつけて、煙をくゆらせる。
「でもね、変化をどう受け取るかっていうのは、自分次第なんだと思う。みんな多分、生きている限り迷子なの。地図がない道をずっと迷いながら進んでる。七星さんのママも、お姉さんも、詩緒さんも、みんな、迷子。誰も正しい道とか、安心できる道なんて見つけられてない。でも、良い方向に進めるよう、信じて、もがいてる。七星さんも、もがいてる。だからきっと、より良く変わるよ」
 みっくんはふう、と白い煙を吐き出してから、はっとした顔をした。慌てて、携帯灰皿を出してその中にタバコをつっこんでいる。
「ごめん、つい、考え事するとタバコが癖で。七星さんの前なのに」
「美空先生も、もがいてますか?」
 こんなに綺麗で、強くて、怖いものなしに見える、みっくんも、もがいてるの?
 みっくんは、驚いた顔をして、それからくしゃっと顔をほころばせた。愉快そうに肩を震わせてあたしを見ている。
「もがいてるよ〜全然、うまくいかない。でも、もがきながら、なんとか生きてる。そうだ。これあげる」
 みっくんがスマホケースに挟んでいたなにかのチケットを三枚取り出した。小さな地図が印刷されている。
「イロドリ劇場……?」
「今度、そこで小さなお芝居をやるの、わたしも出る。よかったら見にきて。主役じゃないけど、一応セリフもあるよ。女優、目指してるの。全然売れてないけどね」
「え、え⁉」
「びっくりした? 全然ぽくないでしょ」
「え、いいえ! 違うんです、その反対で。すごく、ぴったりだと思って……」
「そう? それは嬉しいことを言ってくれるね。ありがと」
 みっくんは不敵に微笑んだ。さっきとは違う笑顔に、どきりとする。
「そういえば、わたし、七星って名前みたとき、ぴったりな名前だって思った。新体操で、七星さん、一番目立ってるから、七星さんにぴったりだって。七星って北斗七星よね。北斗七星は昔から目印なの。いつみても同じ場所にあるから、みんなが見つけてくれる星」
 みっくんはじいっと夜空をみあげて、それから、小さな声で「ほら、あった」と呟き、星に向かって指をさした。
 夜空に光る七星を、地上にいるあたしは、みっくんの指さきをたどるだけで簡単に見つけることができた。七つの点で繋がったあたしと同じ名前の星座は、強く、白く、堂々と真っ黒な空の上で輝いていた。

七星の場合のお話、おわり。

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