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あの日わたしは裸で泣いた

19歳になったばかりの秋。
体重計の上で、全裸のわたしはうずくまり泣きながら、発作でバグった心臓あたりを思い切りつかんでいました。

その春、わたしは大学入学を機にひとり暮らしを始めました。以前は山手線某駅の近くにあったというキャンパスですが、わたしが入学した頃には、都下の、病院がやたら多い某市に移転していました。

そこから2駅先にある、学生用のマンションを借りました。大学の近くに住むと、家が遠い子たちのたまり場そして寝床になることは目に見えていたから。ワンルームなのに、そんなの鬱陶しい。昔から、ひとりでいることのほうが好きなのです。

まだ入学して数日、オリエンテーションの日のお昼のこと。同じ高校だった女の子と学食でご飯を食べようとしていたら、何となく周りに何人か集まってきて、6人くらいで食事をすることになりました。

わたしはオムライスを頼みました。薄い卵でチキンライスがくるまれてケチャップがかかっている、ふわとろじゃない、昔ながらのやつです。量は多くも少なくもなさそうで、おいしそうでしたし、お腹も空いていました。

あれ?

おかしいな。

なぜか、最初のひと口が飲み込めないのです。口の中でずっともごもごしていて。お腹空いてるのに嚥下できないのです。

最初のひと口は水で無理やり流し込みましたが、次のひと口を食べようとすると気分が悪くなってきました。やばい。焦る。目眩とともに汗が止まらなくなり、心臓のばくばくがつらくてその場から逃げ出したい衝動に駆られます。

「どうしたの? 具合悪い?」
同じ高校だった子が、声を掛けてくれました。
「うん、何かちょっと……。」何とか声を絞り出し、その場から離れようとした時、その場にいたひとりの子が言いました。

「具合悪いなら、最初から頼まなければよかったのに。食べ物がもったいないよ」
その言葉が、春なのにつららが心臓に突き刺さったようにショックでした。

それからわたしは、人前で食事ができなくなりました。大学生活は、キャンパスとバイト先と家を行ったり来たりだったから、ひとりになれる家でだけ、食事を摂りました。でも量も栄養も足りていなかったのは確かで、どんどん痩せて、体力もなくなっていきました。

元々標準だったわたしの体重は、シンデレラ体重と呼ばれるぐらいに減り、当時から大好きだったジュディマリのYUKIちゃんのファッションを上から下まで真似ていました。女の子たちとすれ違った時に「あの子、YUKIちゃんみたいでかわいい」と言われることと、バイト先で男性社員や仲間にちやほやされることで、精神の均衡を何とか保っていました。

大学には、ほとんど行けなくなっていました。

秋の初めに19歳になりました。今までの服が緩くなってきていることには、既に気づいていました。

そして冒頭の状況になります。久しぶりに体重を測ってみました。ちゃんとした数字を知りたくて、全裸になりました。その姿を鏡で見ると、鎖骨がはっきり過ぎるほど出ていました。肋骨もうっすら出ているし、骨盤もくっきり浮き出ていました。だからこの前のセックスの時に「骨が当たって痛い」って言われたのか。それじゃあ色気も何もなかっただろうな。

恐る恐る体重計に乗りました。
34.8kgと表示されました。
「やーっ、やだ、怖い!」
その場で叫んで泣いて、パニックになりました。もともと身長153cmしかないわたしだけれど、この体重はいくらなんでも少ないのです。このまま食べられず痩せていって、骨と皮だけになって死んでしまったらどうしよう。誰か助けて。

その頃には、すれ違った女の子たちから「あの子痩せすぎ。気持ち悪い」などと言われるようになっていました。

わたしは栄養不足のためか、しょっちゅう体調を崩して寝込んでしまうようになり、大学にもバイトにも、ほとんど行けなくなってしまっていました。心配して連絡をくれたり訪ねてきてくれる子もいたけれど、今の状況が自分でもよくわからないので、相手にも説明できませんでした。

「ちゃんと食べて」と、「病人」でも食べられそうなものを持ってきてくれる人もいました。でも人がいると食べられないから、「ありがとう、あとで食べるね」と言って、その場で食事の用意をしてくれそうになっても断っていました。

34.8の数字を見たときのショックから、これよりは絶対痩せないと決め、人前で食べなくてもいいように、なるべく家にいて食べるようにしました。でも、胃がすっかり弱くなってしまったのか、かなり少食になってしまっていて、胃炎で1週間ほど入院したこともありました。

そうやってもがいているうちに、3年生になろうとしていました。何とか単位を取って、留年はぎりぎり免れたのですが、3年生になったら実習期間が長くなります。授業は少ないけれど、実習とレポートの両立はハードです。ゼミにも出席しなくてはいけないし。

4年生になればそれらに加えて、卒論も書いて、国試の勉強もしなければなりません。1日10時間位は国試の勉強に充てないと、きっと合格できないでしょう。せっかく奨学金を取って大学に入ったのだから、国試には絶対に一発合格したいのです。ですが卒業が見込めない学生は必要条件を満たしていないから、そもそも国試を受けることができません。


このままの生活じゃ無理、そう結論づけました。


結果、2年でひとり暮らしをやめ、実家から大学に通うことになりました。
何度かの帰省で、家族の前では普通に食事ができることを確認していました。どんどんやせ細っていき、挙句に入院までしたわたしを心配していた両親は、わたしが実家に戻ってくることに安堵していました。

片道2時間半から3時間かけて通ったので、きつかったです。でも、3、4年生が通学するのは週に3回ぐらいだったし、授業もびっしり入っていたわけではなかったので、何とかなりました。何よりも家に帰って半年で、体重を40kg台に戻すことができて、体力も付いてきていました。

卒論も通り、無事国試に合格することもできました。体重も、40kgちょっとでキープしていました。

一度地元で就職したけれど、20代半ばで転職し、再びひとり暮らしをしました。もうその頃には、人前でご飯が食べられないということはなくなっていて、何なら毎日、職場の誰かとご飯を食べていたような気がします。

30歳で、心身が崩れてぐしゃぐしゃになるまで、わたしは穏やかでいて華やかな日々を送っていました。仕事も忙しくて、大学時代前半の地獄のような日々も、あの変な心や体の変化も、全部全部忘れていました。あの頃の自分が精神疾患にかかっていたことは、30歳で専門家に指摘されるまでわからないままだったのです。

#パニック障害  #パニック発作  #会食恐怖症  

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