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その文章がきっと誰かの救いになる

 基本的にこのnoteは自分が文章を書いて楽しむこと、ひいてはそれがストレス解消につながるとよいな、と考えて続けている。でも、やっぱりインターネット上で公開している以上、それなりにnoteのビュー数やスキがついたかを気にしてしまう自分もいる。

 内容は見せていないが、私が最近noteを書いていると知っている夫に「スキがつくかつかないかの違いってなんなんだろ?」と聞いたところ、「10前後のスキなんて増減があったところで誤差でしょ」と身も蓋もない言葉を貰ってしまった。

 いやぁ、そりゃそうなんだけどさぁ。それを言ったらおしまいじゃーん!

 ちょっと口を尖らせつつ、それでもわざわざ自分がネットに公開させる形で文章を書いているのはなんでなんだろうな、とあらためて考えてみると、自分が昔からプロアマ問わずネットやいろんなところに書かれた文章を読んで救われてきたからなんだろうな、と思った。

 私は昔文芸部に入っていたのだけれど、同じ年代の子たちの小説や詩を読んでいると、素人の文章を読んで何が楽しいんだと同級生に言われたこともあった。でも、私は今でもそのとき読んだ素人の同世代の文章を思い出して、あれは素敵な表現だった、物語だったと思うのだ。そして、それを思い出しているときは、日々の苦しみを忘れて、一瞬だけでも美しいものに出会える生きること自体の美しさも信じられそうになる。

 だからだろうか。私は例え少人数しか見ていなくても、誰かが書いた文章が誰かの救いになる可能性を素朴に信じてしまうのだ。場合によっては、私の文章がそれになる可能性だってあると思ってしまう。

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