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自分でも驚くほど会社が嫌

 少し前に友達の結婚式に出たら、感謝の手紙で「お母さん、産んでくれてありがとう」と言っていて、とてつもない衝撃を受けた。私はとてもじゃないが、そんなことは言えないからだ。両親には本当に申し訳ない。私は生きているのがつらいと思っている。

 ただ、なぜ自分がそんなに生きること対して後ろ向きなのか考えてみると、その原因は、なんと会社であった。実家とは仲良し家族という向きはないが、それなりに良好だし、両親を尊敬している。私は夫が大好きだし、悩むほどの友達関係がそもそもない。インプットが好きだから、摂取したいコンテンツも勉強したいことも大量にあって、時間が足りないくらいだ。このnoteを書くという行為も今のところすこぶる楽しい。私生活に悩みはほぼなく、私が今悩んでいるのは、会社についてのみである。

 これに対しても私はとてつもない衝撃を受けた。私は会社が嫌すぎて、生きるのが嫌になっているらしい。三十歳を過ぎたいい大人の気持ちとして、いくらなんでも幼すぎやしないか? そして、そんなに会社が嫌とは、想像以上に会社を嫌に感じすぎていて驚く。私ってそんなに会社が嫌だったのか。そんなに嫌なら転職しろよ……。

 自分の未熟さにがっかりするが、そうはいっても自分の現状を受け止めないと改善もおぼつかない。今まで何度も会社がつらくて分析してきたが、自分が想像以上に会社を嫌がっているという前提にたって考え直してみたい。

 会社が嫌すぎる要因は、内的要因(私自身の要因)と外的要因(私では変えられない会社の要因)とにわかれるとして、きれいには分けられない部分もあるが、少し書き出してみる。

内的要因(私自身の要因)
・会社で働くことを重大にとらえすぎている
・体力がないので披露やストレスを感じやすい
・「あるべき」が強すぎるので、いちいち他人の言動にストレスを感じている
・知人友人と自分のやっている仕事や実績を比較して劣等感を覚えている
・つまらないと感じる業務の割合が大きい
外的要因(私では変えられない会社の要因)
・組織の人員数が、同一部署と比較して著しく少ない
 →そのため、一人当たりの業務量が増えている
・人間関係、組織文化が合わない(価値観が合わないな、と思う機会が多い)

 今までは、外的要因の方に着目しがちだったんだけど、そうとうに自分が会社を嫌がっていると気づくと、私の会社に求めるものが過大なのではないか? という気もしてくる。私は会社で働くなら、自己実現や自己成長につながること・少しでも他人や社会のためになるような仕事をしたいと考えている。せっかくやるなら楽しいほうがいい。もしかしたら、この考えは私にとっては呪いのようになっているのではなかろうか? 大学時代、コンビニでバイトしていたときは、お金のためと割り切っていて、やりがいなどは考えていなかった。やりがいを求めるから、やりがいを感じられないことがつらいのではないか?

 また、自分の中でねじれを感じるのは、「会社で働くなら、自己実現や自己成長につながること・少しでも他人や社会のためになるような仕事をしたい」と考えている一方で、今の会社を辞めるふんぎりがつかないのは、今の会社の給料や体を壊したときの支援が充実していることに対して未練があるからだ。そして、それを素直に理由にして残る覚悟をできないのは、福利厚生を重視するのはダサい、そんなものは頼りにせず自分の実力でやっていける人材がかっこいいという価値観にとらわれているからだ(しゅ、就活生のときから成長がなさすぎでは?!)。

 でも、やりがいにせよ福利厚生にせよ、これらって、本当に自分の欲望なのか? 私は本音の本音をいえば、人からdisられるかもしれないけど、生産性がないと言われてしまうかもしれないけど、本を読んで生活できればそれで満足じゃないのか? 働いて自立したいということ自体、社会からそう思わされているだけではないのか?

 自分の欲望は、いったいなんだ?

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