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春夏秋冬 乃木坂46 〜③

「夏秋草図屏風・風神雷神図屏風/酒井抱一・尾形光琳」描かれた花「百合・葛」×パフォーマー久保史緒里・山下美月

美しい女性を例えるのに昔は「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」と表現したと、いつか本で読んだ。風情があり、華麗で清楚な女性を指す言葉だと。都会で育った僕は、どの花もちゃんと見たことはなかったから、「そういう花があるのだな」ぐらいにしか思わなかった。

「夏秋草図屏風」は、右側ににわか雨に打たれる夏草が描かれ、左側には強い風にあおられる秋草が表現されている。急な雨の中、乱れた草花の中で、白い百合の花は葉の影に隠れながらも、白く輝いて見える。夏草の茂みが、大切な百合の花を守っているようにも見える。

ハイスピードカメラの映像を幾重にも重ねて、「刹那の一瞬」を表現した映像と、夏の一瞬の情景を捉えた屏風絵が不思議な対比を成す。

百合-久保史緒里-「雨」-「夏」

ハイスピードカメラで撮影された映像をコマ送りのように重ねる。途中のコマを意図的に入れ替えているのか、一連のしなやかなダンスは行きつ戻りつを繰り返しながら進んでいく。一瞬、束の間のように空を流れてゆく雨雲。草原をにわか雨が駆け抜けてゆくように。

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青色のドレスの濃淡が美しい。久保史緒里の美しさは、刹那の一瞬にあると思っている。あの時の横顔、あの日の寂しそうな表情ー

久保史緒里は、暗闇をほのかに照らすランタンのようだ。あたたかくて切ない。淡く、親密な微笑み。白百合の花に似ていた。

葛-山下美月-「風」-「秋」

風雲急を告げる。山下美月の特質は眼光にあると思っているけれど(一度会うと忘れられなくなるタイプの女性だ)、見た目だけではない真の強さを兼ね備えた人でもある。エースとしての自覚と覚悟。僕らの前に疾風のように現れて、いつか秋の風のように去っていってしまうのか。

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彼女は最初から「大人の女性」であった気がする。幼さを覆い隠してあまりある洗練された美しさを当初から持っていた。それは同時に影をも感じさせた。煌びやかな美しさと、仄暗い一面と。

描かれた屏風絵は、秋の野分、今で言う台風によるつむじ風の一瞬を描いている。草花は突然の訪問者に戸惑いながら、あるものは首を垂れて耐え忍び、あるものはたまらず宙を舞い、一陣の風のもと混乱に陥る。舞い散った花びらや蕾はどこへ向かうのだろうか。全ては一瞬の出来事であり、その刹那が画面に落とし込まれている。

ハイスピードカメラどころか、写真すらも無かった時代に、刹那の一瞬を描き切ることがどれほど難しいことなのか。記憶というガラス板に目にした光景を焼き付け、わずかな一瞬は未来永劫の屏風絵の世界に閉じ込められた。

吹き抜けた野分の風は、そのてをすり抜けるように画面の外へと流れ去っていく。彼女もまた、刹那のパフォーマンスを終えると、画面の外へ消えてゆく。強烈な印象だけを残して。

台風一過。晴れ渡る秋空は、既に冬の到来を予期させる。流し目で僕を見つめた彼女は、閉ざされた冬の到来を告げて消えていった。




久保史緒里は好きな乃木坂の曲の一つとして「ひと夏の長さより・・・」を挙げていた。夏の盛りというよりも、夏の終わりが相応しい一曲。いくつもの夏の刹那の一瞬が過ぎると、季節はいつの間にか秋になる。視線をずらすと、そこに山下美月がいる。彼女が象徴するもの、「風」「秋」。

太宰治が小説に書いていた通り、秋は「ズルい」。すべての生き物が夏を謳歌しているその時に、着々と準備を進め、気がつくとさっきまで夏がいたその場所に、当たり前のように座っているのだ。こちらが驚く間も与えず、秋は告げる。もう夏は終わりだ、君がうつつを抜かしている間に、終わってしまったのだよ、と。



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